「僧侶ですら東奔西走するから師走」という説があるように、年の瀬というものはおそろしく忙しない。店先に飾られたツリーは門松に姿を変え、主役の顔はチキンから重箱にすげ替わり、子どもたちの関心はプレゼントからお年玉へと移ろいゆく。まるで早着替えのように切り替わる様は、毎年のことながらついて行くのがやっとのスピード感である。
そういう忙しない年末だからこそ、つられて忙しく動き回るのがちょうどよかったりするのかもしれない。
「ありがとうございましたー」
こんな年末に夜勤をしている勤勉な店員のだるそうな挨拶を背に自動ドアを潜ると、暮れなずんだ通りから吹き荒ぶ風が頬を直撃した。着込んでいるとはいえ、寒さは完全に防げない。先ほど財布を開くために外した手袋はポケットの中だ。しまった、よくやるミスである。
私はコンビニの灯りの下でちょっと悩んで、まあこのままでいいかと頷いた。どうせそう遠くない距離だから、先を急いだほうが結果的に良いはずである。
「」
だから、その声が聞こえたときは少し驚いた。歩き出そうとしたブーツの片方を引っ込めて振り返ると、白い息を吐きながら見慣れた顔がこちらを見ていた。
「二宮、お疲れ」
「ああ」
仕立ての良いコートを身に纏った長身がゆったり二歩で寄ってきて、ふと視線を落とした。視線がすれ違う。私の顔より下だ。
「ずいぶん多いな」
「うん、ちょっと買い出しで」
ちょっと持ち上げてみると、袋がガサガサと音を立てた。私の両手にはパンパンに身の詰まったビニール袋がそれぞれぶら下がっている。
界境防衛機関ボーダーでは根付さんの旗振りによって未成年隊員の夜間防衛任務頻度を減らす取り組みが根付いている。企業でさえ休業期間に入る年末年始はとくに顕著で、それをカバーするために大学生以上の隊員が三門市の夜を見守るのが慣例となっているのだが、飛び石で任務が入っている隊員が「帰るのが面倒」と言い出したことに端を発し、あれこれ上層部を巻き込んだすったもんだがあった結果、大会議室を会場にした忘年会兼新年会兼暇つぶし会が開催されることとなった。
「で、私は買い出し班の第二陣」
ちょうどよく外に居たときに買い出し要請を見かけたので、二つ返事で請け負った。書い忘れ分だというのでそう多くないと思ったのだが、じゃあせっかくだからという相乗り効果であれこれと要望が飛んできて、雪だるま式に膨れ上がった結果だった。
「コンビニにきな粉がなくて、そこだけ残念だよ」
「きな粉」
「なんか太刀川が屋上で餅を焼いてるらしくて」
「……餅を?」
「うん、そのために屋上の使用許可取ったんだって」
二宮は眉を寄せて、それ以上喋る気がなくなったようだった。
彼の薄い唇から細い煙が漏れ、風に攫われていく。二宮の息も熱いんだな。彼と居るとそういう当たり前のことさえ新しい発見をしたような気にさせられる。口に出したらまた間違いなく呆れられるので黙っておいたが。
「あれ」
そのとき、私のコートのポケットの中で端末が震えた。一度で止まらないので着信だろう。しかし、今は両手が塞がっている。
ふと視線をやると、二宮はこちらが何を言うより先にビニール袋の片方を軽々と持っていってしまった。冷たい指先が感覚の鈍い手を掠めた気がした。
「ごめん」
「いい」
短いやり取りのあと着信に応えた。冷えた指がスライドに反応せず、一度失敗する。急に荷物がなくなったからか、どこか指先が心許なく感じた。
「はい、です。……まだコンビニ前ですよ、あの通り沿いの……ん、いいですけど、どれですか? え? ああはい、わかりました。あと十五分もしたら上がれると思います」
私は口先ではそう答えながら、無表情でパンパンのビニール袋を片手に立っている二宮が重くないだろうかと考えていた。素早く持っていかれたのが差し出そうと思ったほうじゃなく、水ものが多いほうだったからだった。
通話が切れるまで律儀に黙って荷物を持っていてくれた二宮に、私は頭を下げて更にお願いをすることにした。
「ごめん、あと三分だけ荷物お願いしてもいい?」
「どうした」
「追加があって、ここしか売ってないんだって。急いで買ってくるから」
私は詳しくないが、先ほど聞いたことをそのまま店員に伝えれば大丈夫だろう。二宮の低い声が了承を告げたのを確認して、ビニール袋一個分身軽になった私はコンビニに引き返した。十七番二つ。十七番。
「お待たせ」
私が店内から出てくると、二宮は変わらずそこに居た。トリオン体を見慣れているから、彼の耳の端が赤らんでいるのがもの珍しかった。
「ごめん、ありがとう」
私が二度目の会計のタイミングで忘れず手袋を着けた手を差し出すと、二宮は無表情のままそれを見事にスルーした。聡明な彼のことだから私のこの手の意味がわからないわけではないだろう。まさか感謝の握手をしようとしたと思ったわけでもないはずだ。
「重いでしょ」
「お前は」
「ん?」
「たまに察しが悪いな」
じり、と二宮の靴が動いた。まるで進行方向を示す針のようだった。その先にそびえ立つ建物は一つしかない。
私はやっと二宮の意図を理解し、大人しく頷いた。これは私の察しが悪いのか、二宮がわかりづらいのか、どっちなんだろう。寒すぎて口がうまく回らないかもしれなかったので、やっぱりこれも黙っておくことにした。
「ありがとう、助かる」
「ああ」
並んで歩きはじめて、荷物を持ち替えた。横に並ぶ腕がぶつかりそうな距離。日の暮れた年末の三門市の穏やかな夜気にカサカサとビニールの鳴る音だけが賑やかだった。
コンビニがすっかり遠くなってから、私はこっそり口を開いた。
「ついでなんだけど」
「今度はなんだ」
「証拠隠滅の共犯に」
急に何を言い出すんだこいつは、というわかりやすい表情をした二宮が私の鼻先を見下ろした。ぴったり予想通りの反応だったので声を出して笑ってしまう。
「さっき追加で買ったときにどうしても食べたくなって買ったんだけど、二人で分ければすぐだから」
私はポケットに放り込んでおいた三角形の包みを取り出し、二宮に見えるように顔のそばまで持ち上げた。手で直接持つには熱すぎるくらいの熱気が頬に伝わるようだった。
そう、冬のコンビニの王者。肉まんだ。
「半分なら入るよね?」
ニュートラルな視線が肉まんを観察して、短い肯定が返ってくる。
「ピザまんとも迷ったんだけど、やっぱり王道かなと思って。夏も肉まん置いてくれたらいいのにな。冷凍のもいいけど、ちょっと違うから」
「お前なら作ったほうが満足するんじゃないのか」
「……それは確かに」
天啓だ。今年の夏のタスクに追加しておこう。
私は内心ですでに餡の中身を考えながら比較的軽いビニールを片手に通して、三角の包みを恭しく開いた。
閉じ込められていた熱気がぱっと広がる。もくもくと立ちのぼる湯気、つやつやとしたもっちり皮。きゅっとねじられた独特の形も、これから食べるものが期待通りのものである実感を後押ししてくれているようだ。
利き手の手袋を外して真ん中あたりで割ると、より濃くなる蒸気。一瞬だけ強く脂の匂いが鼻先をくすぐっていって、かなりぐっときた。さすがちょっといい肉まん、中身もちゃんとぎっしりである。
だいたい二等分だろう、という感じに割れた肉まんの片方を持ち、包みに入ったもう片割れを二宮に差し出す。伸びてきた指が包みを摘んだのを見届けて、私はほかほかの肉まんに視線を戻した。
「いただきます」
「……いただきます」
律儀に声を重ねてきた二宮がちょっとかわいいなと思って、笑う前に肉まんに齧り付いた。冷えた唇には味より熱のほうが先に伝わってきて、それから遅れるようにじわじわと旨味が口の中に広がる。染みる。生き返る。これだ。これが食べたかった。噛み締めると、歯触りのいい筍が程よい存在感で二度も三度も私を喜ばせた。
隣を歩く二宮が肉まんを齧る。私も倣う。おいしい。
ほう、とため息がこぼれる。
「おいしいね」
「ああ」
返ってきた言葉に、私はそっと目を伏せた。
そうか、二宮もおいしいと思っているのか。それは、何よりだ。
二宮が食べ終わった包みを畳み、彼のコートのポケットにしまい込んだ。
その手はいま温かくなっただろうかと思ったけれど、ちょうど残りの一欠片を口に押し込んだところだったので、今度も黙っておくことにした。温かければいい。そうだといい。
外していた利き手の手袋を着けようかというタイミングでポケットに手を突っ込み、あれ、と思う。端末の画面に新しい通知。
「ん、あれ。買い出し第三陣の要請が出てる」
「何泊するつもりだ?」
画面に浮かぶ『求:きなこ』の切実さに私は笑い、二宮は笑わなかった。