09:年越しそば


 年の瀬といっても防衛任務に休みはないが、今年も世の中の仕事納めと時期を合わせるようにして未成年隊員たちの防衛任務緩和令が出た。「あそこは年末年始にも積極的に学生を動員する組織だと言われては聞こえが悪いからねえ」と世間体を気にしながらも学生隊員を気遣う根付メディア対策室長のわかりづらい労いは中高生にはちゃんと伝わっていたが、諸事情あって界境防衛機関ボーダーは学生隊員を多く抱えている。

 つまり、年末年始に出動機会が減る者があれば増える者もあるのである。

 吐息が白く濁り、ポケットの中の指がかじかんでいる。

 時は年末大晦日、そろそろ恒例の歌合戦が大盛り上がりしている頃だろう。夜道を一人行く私もどこか浮ついた気分で首元のマフラーに顎を埋め、なんとなく家並みの灯りを眺めながら歩いてしまう。あちこちから漏れる暖かな光の元には各々の営みがあり、みんな穏やかな年末を過ごしているらしい。つい先日までクリスマス気分で着飾られていた街も今や新年に向けた装いに変わり、ここには慌ただしくも明るい夜が広がっていた。

 そんな夜にも防衛任務はある。人手不足だというので成人済かつ時間に都合のつきやすい私は学生が入れない時間を安請け合いして、調整の結果、四日連続での夜間防衛任務担当となった。それを聞いた諏訪さんと堤が肩を叩いてコーヒーを買ってくれたが、二人だって似たようなスケジュールなのを知っている。今日はその四日目だった。

 しかし、夜は冴え冴えとした空気がより染みる。任務前に何か食べるつもりで少し早めに出てきたのだから近くで店を探そう。

 そう思って向き直ったところで、私は横断歩道の向こう岸に見慣れた顔を見つけた。手触りのよいらしいカシミヤのマフラーを巻いたロングコート姿。相手もこちらに気づいたらしく、ぴたりと目が合う。

「こんばんは。今夜も寒いね、二宮」

 足を止めて待っていると、冬仕様の二宮匡貴が鷹揚に頷いた。

「お前も任務か」

「そう、一つ後の枠」

 聞くに、二宮も同じ枠での任務らしい。そういえばこの前の狙撃手合同訓練で並んだ東さんが、今年は私や二宮、加古に堤や太刀川といった去年フル稼働を免れた面々を自由に使える分だけ編成に幅が効くなと言って笑っていた。年長者としてシフト分けにも意見を聞かれる立場らしい。確かに今年は柿崎くんや嵐山くんといった隊長たちが高校を卒業して使いやすくなったので、去年よりはずいぶんと楽だろう。

 なんとなく歩調を合わせて並んで歩く。行き先が同じなのだから当然か。

「二宮は誰のチーム?」

「東さんだ」

「へえ、いいな。東さんと年越しかあ」

「……お前は」

「諏訪さんと堤。笹森くんのカバーで」

 終わったら諏訪隊作戦室で軽い打ち上げをやるというのでちょっと混ぜてもらう予定だ。遅れて冬島さんも来るというので、きっといつもの麻雀大会が始まるのだろう。

 ふと目の前の木々が大きく揺れた、かと思えば強いビル風が真正面から吹き付けてきた。なにかゴミが入ったような感覚があって目を瞑ってしまい、バランスが崩れる。一歩よろめいてしまった。

 強く掴まれる腕。

 余韻で目を瞬かせながら見上げると、二宮が黙って私を支えていた。

「……ありがとう」

「気をつけろ」

「うん」

 手短な注意に素直に頷いておく。これが任務中だったらよくなかったな、それともトリオン体であればそんなに気にならないものだろうか。

 目のゴミは二・三度瞬きしている間に落ちたらしい。涙の膜を冷えた指先で払って顔を上げると、怪訝そうな顔をした二宮が居た。

「……どうした」

「え? なんでも……ああ、目にゴミが入っただけだよ」

 急に相手が涙ぐんだら二宮も驚くか。それもそうだ、私も急に二宮が潤んだ瞳で目元を擦っていたら驚くし、事情くらい聞く。

「そうか」

「そうそう」

 だから何も心配することはない、と歩きだそうとした先、私は突如天啓を得た。

 勢いのまま、先ほど腕を掴まれたように二宮の腕を掴む。上品な手触りのコートだった。

「どうした」

「二宮、同じ枠ならまだ時間あるよね」

「……今度はなんだ?」

 呆れたような声色だが、これは拒否じゃない。

 私は提灯の下がった店先を指さし、二宮の腕を引いた。

「ちょっと早いけど、年越しっぽいことしよう」




 年越しそば。

 風習としては江戸時代には定着していたとされる縁起物だ。由来はそばの切れやすさから災厄を断ち切るためだとか、細長い形状から長寿を願ったものであるだとかの諸説があるらしい。確かに前々から身近にあるものだから、大晦日の夜につゆの香りをかぐとより大晦日らしくなるような気がする。

 遠目にボーダーを望むそば屋は、似たようなことを考えた人々でそこそこ賑わっていた。高い位置に設置された正月飾り付きのテレビはこぶしをきかせるベテラン演歌歌手を自慢げに映し出している。

 テーブル席で向かい合った二宮が割り箸をつかみ、パチリといい音を立てて割った。続いて私も。少し固い。二秒格闘して割れない。

「貸せ」

 見かねた二宮が声を掛けてきたので、大人しく割り箸を差し出す。私が負けた割り箸も二宮にかかれば一秒だった。「確かに固いな」フォローみたいに呟かれた言葉がなんだかちょっとかわいい。

 二人で手を合わせ、目の前の湯気を上げる椀を見下ろす。

 二宮の注文はスタンダードに天ぷらそばだった。色の濃いつゆに浮かぶ主役は輝くような存在感で、ちょんと突き出す尻尾の赤みが差し色になってどこか華やかな一杯だ。上から散らされる一味も合わせて、とてもそばらしい風情がある。

 それに対して、こちらのそばは地味だ。そばと共につゆに添えられたバイプレイヤーは目立たぬ色をしてその体を横たえている。月見のように風流でもなく、掻き揚げのような豪華さもなければ、きつねのように王道でもない。ただそれでも長年愛されている。それがコロッケそばである。

 ある日べろべろになった冬島さんがコロッケそばのことを熱弁してくれて以来、ずっと気になっていたメニューだった。家で試す機会もなく、そば屋に来ることもなかった。そんなところに渡りに船、年末の年越しそばである。

 教えの通り、まずはコロッケを半分に割り、まだつゆを吸う前のコロッケを味わう。普通に美味しいポテトコロッケだ。合間にそばを啜ると、温かいつゆが絡んで冷えた体にとても優しい。

 それから残った半分をつゆに沈めると、海中から水泡が浮かぶように油がじわりと広がった。鰹だしの風味が強かったつゆにコロッケの油分が加わり、少し雑な味になる。そこがいいらしい。

「そういえば」

「ん」

「今年もありがとう」

 そばを啜っていた二宮が手を止め、ちらりと視線を上げた。

「今日もそうだけど。いつも助かる」

「助かる?」

「一緒に食べてくれるのは嬉しい」

 沈めていたコロッケを押さえるのを止めて、引き上げる。衣につゆが染みたら最終段階だ。この柔らかくなったコロッケが一口目のコロッケとのギャップで最高だ、との言だったが、なるほど、わかる気がする。

「俺も嫌いじゃない」

 それはコロッケとそばの隙間に放られた言葉だった。

 二宮はごく普通の顔をしていたし、私もきっとそうだったけど、なんだか大事に抱えておきたい響きがあった。思いがけないものをもらった気がして、そっと視線を手元に落とす。つゆに浮かんだ油の波紋が揺らめいた。

「来年もよろしくね」

「ああ」

 想像した通りの返事があったことがなんとなく嬉しくて、私は最後のコロッケのかけらを口に入れた。勢いで言いかけた「よいお年を」を引っ込めて一緒に飲み込む。それはまだ、もう少し取っておこう。

 テレビの向こうでは歌を披露し終えたバンドの面々が頭を下げ、万雷の拍手を贈られている。最後の夜が更けていく。

 今夜のそばも温かく、美味しかった。