06:ハンバーグ


 しくじった。

 私は先ほど目の前に突き付けられた張り紙を脳裏に思い返して、また溜息を吐いた。五分ぶり三回目ともなると隣の二宮も苛ついた様子を隠さなかったので、とうとう「鬱陶しい」と静かに叱られてしまった。

「まさか臨時休業日だとは、本当にごめん」

「もういい」

 大学からバスで十五分、弓手町方面へ抜ける道においしいハンバーグステーキを出すお店がある。濃厚デミグラスソースの上に垂らされたトマトピューレがほどよい甘みと酸味を足すことで生み出されるソースの味わいは三門市いち、と風のうわさで聞きつけて以来、どうしてもハンバーグを食べたくなった日はそこにするのだと決めていた。ほどなくして二宮のスケジュールが空いている日が訪れて、ふとこの店のことを思い描いた瞬間に落ちてしまった。

 定休日を避けて向かった先、「本日臨時休業」の文字に打ちのめされたのが十五分前。SNSをチェックしたところ、十分前に店主が体調不良のため休みます、との投稿があった。人を付き合わせるのだからと下調べは怠らなかったはずが、とうとう初めてやらかしてしまったのである。

 さて、どうしようか。ここからだと何がある。バスで別方向に移動して十分、最近始めたカレーが評判のうどん屋がある。いや、前回は蕎麦屋だったから被るか。ハンバーグ。パスタも麺で被る、お肉。肉系なら黄金のたまごの綴じ具合が最高と名高いカツ丼……。

 ふと目に入った看板にくぎ付けになる。

「二宮」

 声をかけると、ついと流し目が落ちてくる。

「ごめん、ファミレスでもいい?」

 三門市のどこでも見かけるメジャーなファミリーレストラン。大きな看板にはシズル感のあふれるハンバーグのポスターが、破壊力満点に立っていた。

「あ、二宮ファミレス入ったことある?」

「……お前は俺を何だと思ってるんだ?」




 四人掛けの広々としたテーブルに通され、二人で向かい合うように腰かける。私は四限から、二宮は三限から授業があるため時間の猶予があまりなかったのもあって、私はハンバーグに負けた。

 しかし、昨今のファミリーレストランだってお値段以上だ。群雄割拠の外食業界を生き抜いていくため、日々メニュー改良が行われているファミレスは安かろう悪かろうの枠を軽々と超えていく。ワンコインでお腹いっぱい食べられるとあれば平日のランチ時、広い店内にも関わらずそこそこの賑わいを見せていた。

「二宮決まった?」

「ああ」

 二宮は選ぶのが早い。この人が長考するのはいつだろう。ランク戦の最中などはしている暇はないだろうし、試験中であっても五分以上の長考をするだろうか。東さんと将棋でも指していれば悩む姿を見られるのかもしれない。

 そういう彼と違って私は、いま、長考している。

 ハンバーグが食べたいと言って彼を似合わないファミリーレストランの椅子に座らせておいて、メニューを開いたところで唐揚げに惹かれている。ハンバーグと唐揚げをつけてお腹いっぱい味わうか、ぐっと我慢して念願のハンバーグだけに集中してみるか。あと、ふと目にした海老フライとハンバーグのセットにもやられてしまった。添えられたタルタルソースの白が目に毒だ。お腹が空いているからだとわかっていても、メニュー上の色鮮やかな写真に目移りしてしまって仕方なかった。

 ぐっと目を瞑って、店員を呼ぶために備え付けボタンを押す。少々間の抜けた音がして、遠くから足音が寄ってくるのがわかった。

 目を開くと、肘をついて頬杖をついた二宮がこちらを眺めていた。

「ごめん、お待たせ」

 反射的にそう言うと、二宮は何も言わずに目を伏せた。

 ハンディ端末を手にした店員がやってくる。二宮が視線で促すから、私はメニューを指さして言った。

「海老フライとハンバーグ、Bセット。あと、ドリンクバーふたつ。二宮は」

「ダブルカットステーキとビーフハンバーグのBセット」

 ステーキ!

 私は店員が復唱するのを聞きながら、こっそり二宮を二度見してしまった。涼しい顔をした二宮はエプロンにハンディを収めて店員が去っていくと、手早くメニューを畳んだ。ハンバーグという主役が居るにも関わらず、そこにステーキを足すという発想に思わず羨望の気持ちさえ湧いてくる。ハンバーグに対する海老フライ、唐揚げはサブだ。この大胆な注文は今の私には厳しい。


「え?」

「お前、何がいい」

 立ち上がった二宮は相変わらず言葉が足りなかったが、ドリンクバーを取ってきてくれるのだと気づいた。ジンジャエール、と伝えると頷きが返ってくる。二宮はいいやつだ。

 やがて湯気をあげて届けられたプレートは三門市いちには届かずともやっぱり食べ応えがあって、じんわり噛みしめた中の肉汁は「ハンバーグが食べたい」という気持ちを十分に満たしてくれた。欲に負けて付け足してしまった海老フライもタルタルソースがよく似合う揚げ具合だったので、これは負けてよかったのだと思う。

 そんな私の前で黙々と肉を片付けていく二宮は、フォークとナイフを丁寧に使って大きなハンバーグと、同じくらいのステーキをスピードを変えずに食べきってしまった。脂身の少なそうな赤身だったとはいえ、やっぱり食べ盛りなのだろうかとしみじみ眺めてしまう。視線に気づいた二宮は「冷めるぞ」と呟いて、油を流すようにジンジャエールに口をつけた。

「二宮、そのステーキ何ソースだっけ」

「和風玉ねぎソース」

「おいしそう。次はそれにしよう」

 お腹いっぱいだと思ったのに、もう次の話をしている。二宮が目の前でよく食べるからだろうか、釣られておいしそうに見えてしまう。いつかこの人相手に「ひと口ちょうだい」を試せる日が来るのかもしれない、なんて面白いことを考えて、私もジンジャエールを飲み干した。