「あなたも、こちら側の人間なのだな」
それは穏やかで静かな声だった。
おれは黙って長門の手から1番の鍵を受け取った。ゆっくり顔を上げる。長門は声色と同じくらい穏やかで静かな立ち姿で、おれを見据えていた。長く艶のある黒髪が肩口からすべり落ちた。
「妖精に選ばれた人間という意味で?」
「そうだな。我々も、艤装の妖精の力を借りて戦っている。その点からいえば、あなたも日々戦っているのだろう。我々のために」
見えざる糸を見て、見えざるものに導かれて。
おれはこの作業場で、何百着の服を縫ったのだろう。記憶では二百を超したところから数えるのをやめたので定かではないが、もしかしたら四ケタに届くほどかもしれない。手縫いでそれだけの作業をしておいて、よく狂わずにいられるなと思われるだろう。そもそも、一日に手縫いで人の服を五着仕上げられるなんていうのは人間業じゃない。
ただ、ここでのおれは、たぶん本当に正気でないのだ。
「妖精の加護を受けたあなたを経由したこの服が、海に出る我々にとっては命綱だ。特殊な素材とあなたの加護を受けた服だから、深海棲艦の攻撃を受けても我々の肉体が吹き飛ぶまでいかずに済む」
おれの加護。そういう言い方をされると、まるでおれが『妖精』自身になったようで、ぞっとしない。おれの肩でぱたぱたリズムを取る妖精が、楽しそうに笑った気がした。
ここでのおれは、妖精に体を貸すための依代だった。妖精はおれの目を借りて道筋を示し、おれの手を借りて布を合わせる。おれの肉体を妖精が操縦して、そうして艦娘の洋服は作られる。それが実態だった。おれという「人間」を介するのは、人体の生体エネルギーを与えるため――武運長久を願って祈りを込めたといわれる古来の「千人針」にも似た理由だ。もしかしたら、やつの電気嫌いも関係あるかもしれない。
妖精の技術とおれの力が合わさった結果、おれの、妖精の作る服は、深海棲艦の攻撃を受けても体を守って真っ先にはじけ飛ぶ。それは、戦車のような鋼鉄の防具を持たない彼女らの、唯一の盾だった。
「今日はやけに饒舌だな、長門」
「なに、気が向いてな」
演習で傷ついた姉妹艦の服を引き取りに来たはずの長門は、にやっと笑った。へこんだ腹、鍛えられたしなやかな腹筋が呼吸と共に軽く上下する。我が鎮守府の最強の一角の名を欲しいままにする彼女にふさわしい、堂々たる微笑みだった。
「じゃあ、陸奥に伝えといてくれよ。痛んだ服も丁寧に直してんだから、そっちも丁寧に扱ってくれって」
「はは! いいだろう」
「それと、武蔵は本当にあんな布地で足りてんのか」
「本人はあれが落ち着くそうだ」
「まじかよ。艦娘ってのはよくわからん」
よくわからん。
口の中でもう一度転がした響きが一度目とは違うものになって、なにか継ぎ足そうかとも思ったが、墓穴を掘りそうだったのでやめておいた。長門もそれ以上なにも言わなかった。
「では、私はそろそろ失礼するとしよう。あまり邪魔するのも悪い」
「長門」
踵を返そうとした長門を呼び止めると、彼女はすこし不思議そうにした。思考せずに口からこぼれた声だったので、おれも似たような顔をしてしまっていただろう。
「……おれは」
長門の体が、しっかりこちらを向く。瞬く。彼女は、人形じゃない。
召集令状を受け取ってから仕事に慣れ始めたころ、おれはこの仕事を人形の服作りと同じだと思っていた。艦娘なんていう訳のわからない力を持った年下のガキが戦っているらしい、なんて、聞かされた現実を一枚壁を隔てた向こう側の世界のことのように感じていた。
それが、この作業部屋に入れ代わり立ち代わり訪れるガキどもに全員名前があって、使命があって、おれの作った服を着て戦っていると知った。悪態をつく奴、マイペースな奴、生意気な奴、元気な奴。誰も人形なんかじゃなかった。
「これからも、お前たちのことを、守るよ」
おれは一体いつからこんなことを言うような人間になったんだろう。急に背中がかゆくなって、おれは顎をいじりながら視線を逸らした。床に落とした待ち針でもあるんじゃないかと思って。そんな言い訳をして。
「だから、お前たちもおれを守ってくれよ。おれ、泳げないから」
「……ああ。この長門が、必ず」
「……頼りがいがあるよ」
彼女は作業部屋を出る前、それは見事な敬礼をして、それから扉を閉めた。
妖精がおれの頬に触れ、その身をすり寄せてくる。おれもそいつに人差し指を押し付け、頬をつついてやった。