気付いてしまった。これは由々しき事態だ。
おれは作業台に肘をつき、組んだ腕を口元に当て、じいっと考え事をしていた。ここ最近の忙しさを乗り越え、今日はほとんどノルマのない平和な午後のはずだ。
というのも、ここに詰めて艦娘の服を作り始めてからというもの、そればかりに追われ、没頭する日々だ。その服も、見えたとおりに切って、導かれるままに縫うだけ。それ以外といえば、小さな髪留めや簡単なかぎ編みとか、ほんの小さいものしか作っていない。
「……」
これはまずい。
おれは型紙の引き方、布の切り方、縫い合わせ方を忘れているんじゃないだろうか? いたって普通の洋服の作り方がわからなくなっているんじゃないだろうか? 妖精の力を得て、アナログな普通の洋裁を忘れかけているとしたら、おれはとんだ阿呆だ。
まずい。非常にまずい。
「あの、さん?」
おれはそんな気遣わしげな声が聞こえるまで来訪者に気づかないほど悩んでいたらしい。ハッと現実に引き戻されて振り返って、そして、おれは雷に打たれたような心地がした。
「あ、あの、なにか――」
「翔鶴、いまヒマか」
「え、ええ。演習もありませんし」
言質は取った。おれはそばに立っていた翔鶴の手を掴み、頭に浮かんだイメージを逃さないようメモしながら、なるべく真剣な声色で言った。
「頼みがある」
翔鶴は意外と着やせするタイプだった。
数値をメモしながらメジャーを当て、もじもじする翔鶴に「動くな」と伝えて腕を伸ばさせる。年頃の女子がスリーサイズを測られて恥じらうのは仕方ないとしても、おれにはほんとうにすべて記号にしか見えないのだから安心してほしい。
むしろ、“翔鶴の体型について発見があること”に対して疑問が湧く。おれは彼女の服を何着も作っているのに、今さら何を言っているんだ?
「さん、その……もういいですか?」
「ああ、ありがとう」
「服を作らせてくれ」と迫ったおれに、翔鶴は従順に付き合ってくれた。これが妹の瑞鶴であれば、爆撃機をけしかけられていたかもしれない。しかし彼女にも姉とは違うイメージがもらえそうだ。そんなことを考えてふと、仕事でも服、休みでも服とまるでワーカホリックのようだと思い至って寒気がした。
「ですが、最近のさんは本当にお疲れみたいですよ」
「……そうかな」
「ええ。ただでさえ集中力のいる作業を続けてらっしゃるのに、さらに服が作りたいだなんて」
翔鶴にも同じことで心配をかけているようだった。そうは言われても、ここで服を縫う男と、実際に戦場でしのぎを削り、髪を焦がす女の子とでは、疲れの度合いも違うだろう。おれは翔鶴の一部分だけ短い髪を眺めてそう思った。
「でも、まあ、おれのはそういう仕事だから」
「そうですか、そうですね。さんは外にもお仕事をお持ちですものね」
“外にも”。言い方に引っ掛かって表情を窺うと、翔鶴も気づいたらしく、苦笑いをしていた。おれは艦娘についてなにも知らない。彼女らがどうしてここに居るのかも、どうやって戦う力を得たのかも、これからどうなるのかも。
まあ、先のことが分からないのはおれだって同じだった。外に戻ることができるのはいつになることやら、それこそ翔鶴らが解放されるときこそ、おれの解放されるときではないだろうか。
「外の仕事は、もう姉らにまかせっきりだから」
「お姉さんがいらっしゃるんですね」
「三人ほど」
「まあ」
「ほんと怖くてさ、おれなんかよりずっとタフだよ。何の心配もない」
くすくす笑って、翔鶴は目じりを下げた。先ほどより表情が大げさに見えるのは、気のせいだろうか。
なんとなくもやもやしたものがあって、おれは予定より二日も早くそれを仕立て終わった。
「さん、あの……」
おれは寝不足の目を瞬かせた。この部屋は日当たりがいい。翔鶴の長い銀髪が陽光に透けている。ぼやけた輪郭の翔鶴がとまどったように小首を傾げた。
「あの、こんなきれいなワンピース、いいんですか?」
「イメージ通り」
「え?」
「うん、よかった」
おれは姿見の前の翔鶴に歩み寄り、長くて豊かな髪をすくいあげる。左前に全体を流し、ゆるく三つ編みにする。毛先を留めるのはかぎ編みで作った髪飾りだ。
三歩退く。白くてふわっと膨らむ七分丈ワンピース。全体的に透けるほど白い翔鶴に着せるとまぶしいほど輝いた。陽が当たっているせいで尚のこと。白にしたせいで、まるで今から誰かに嫁ぐようにも思えた。
「でも、私ばっかり……」
「運が悪かったと諦めてくれ」
「も、もう」
怒ろうとして失敗したような、ゆるんだ顔だった。おれもたぶん、あくびをかみ殺した微妙な顔をしていたろうから、それでお相子だ。ふとゆるみ顔がもっとゆるんで、細い指が三つ編みの編み目をそっと撫ぜた。
「……嬉しい。感謝いたします」
感謝するのはこっちだ。久々に型紙を引いた手は二度目のない緊張感に打ち震えたし、誰かをイメージしてすべてをいじくり回すのがこんなに楽しいことだと忘れていた。
あとはそれがタンスの奥に仕舞われたままにならなければもっと嬉しい、と付け加えると、翔鶴は今度こそ心外そうな顔をした。