「うう、スリッパうっとうしいのね。脱いじゃうのね〜」
「履いてろ」
「なんでなの! イク、言われた通り大人しくしてるの!」
大人しく。
あっちをうろうろ、こっちをうろうろ。ふらふら、ぺたぺた。鎮守府来客用スリッパの気の抜ける足音をさせながら作業場を歩き回っておいて、なにが「大人しく」だ。
「に何もしてないから、イクは褒められるべきなのね」
「……」
あれは初対面か、二度目に顔を合わせたときだったろうか。伸縮性の高い水着を縫うってのはなかなか難しいもので、しかもスクール水着タイプというのにおれがまだ戸惑っていたころだった。
水着を引き取りに潜水艦が来る、と聞いたときは疑問符だらけだったが、おれはその引き取り手を一目見て、「ああこいつが潜水艦か」と納得した。
「あなたがなのね! 19、イクの!」
作業場の扉を力強く開け放った少女が、針を扱う作業場に現れたはだしの少女が、そう遠くない距離をダッシュで駆け抜け、おれのもとへ飛び込んできたのだ。無防備このうえないおれの胸に魚雷さながらの鋭い頭突きを食らわせた潜水艦・伊19は、まさに先ほど海から上がってきたらしく、全身びしょ濡れだった。
あのせいで、肋骨にヒビが入ったのは記憶に新しい。
「は軟弱で困るのね」
「お前な」
「それに短気で、何をしても怒るからキライなのね〜」
いひひひ。歯を見せて笑いながら、イクはペタペタ歩き回るのに飽きたのか、ソファに腰掛けた。今日は濡れていないからおれも黙って座らせる。
「お前があんまり勝手なせいだよ」
「イクが勝手?」
「というか、お前な。それが制服とはいえ、水着一枚でうろつくのは」
「提督指定の水着だからぜんっぜん構わないのね」
提督指定と言われればぐうの音もでない。少佐殿のいかつい顔がちらりとよぎったが、これは他の艦娘とは違い海中を泳ぎまわる潜水艦に対して機能性を重視したもので、少佐殿のもっと上からの指定なのだそうだ。そもそも加護を受けた布が回ってくる時点で、この型を指定しているのは妖精なのだが。
だとしても、イムヤやゴーヤやしおいみたいに、上に何か羽織るとか……。姉らの薄着で耐性のついたおれでも口出ししたくなるほどイクの格好は度を越し過ぎだった。
「はほんとに口うるさいのね」
「艦娘の中でもお前が一際薄着だからだ」
「じゃあハチにも注意するのね!」
「したよ。靴下履いてるからお前よりマシだと」
違いないのね、とイクはころころ笑って、ソファに寝そべった。つま先からぺたんとスリッパが滑り落ちる。
「ほんとここ日当たりいいのね、乾いてなんか落ち着かないのね」
「もう終わる」
「はーい」
プツン。糸切りハサミで始末をして、おしまいだ。スクール水着にはあってしかるべきものだが、海中ですさまじい動きをする艦娘を識別するのに役立っているのかはわからないゼッケンをつけ終わって、おれは背を伸ばした。心なしか治ったはずの肋骨が痛い。
「ほら、終わったぞ。それ持って大好きな海にでも行けよ」
「厄介払いしたいって感じ全開すぎなのね、もっと優しく言わなきゃだめなのね」
「……」
呆れた目でイクを見ても、やつはいひひひと笑うばっかりでソファから動かない。こういう強かそうなところがまた姉に似ていて、こいつもちょっと苦手だ。
「……お待たせして申し訳ございませんでした、お品物です」
「ん〜〜イマイチだけど許すのね」
「…………」
イクはぴょっこり起き上がって、それでもちゃんとスリッパを履いて、ぺたぺたと歩いてきた。そしておれの差し出す水着を見て、明るく笑って、言い放つ。
「名前、書いてないのね!」
「どうぞ」
「が書くの」
差し出したマジックを押し戻される。イクを見ると、笑ってはいるものの、どうやら本気のようだ。黙って持ち手を差し出したままでいると、「一人じゃ書けないならお手伝いしてあげるのね」とか言いながら縋りついてきたので引っぺがす。
「なんなのお前」
「たまには気分転換も必要なのね」
「……一応聞くけど、誰の気分転換だよ」
「もちろんイクの!」
もうこの問答にも疲れていて、おれは諦めてペンを持ち直した。やつの胸元のゼッケンを見て、「イ19」と大きく書く。いま彼女が着ているものより書きなれなさが滲んだ出来だった。
「、字ヘタなのね」
そう言うイクが存外嬉しそうだったものだから、おれも手ひどい仕返しはしないでおいてやった。本来は顔に書いてやろうとした「19」を、手の甲にしてやる程度に。