例のトラットリアに行った翌日、リーダーに呼び出された。
「次の任務は、ギアッチョとの二人で出てもらう」
そもそも現場復帰の一発目が単独任務なんてのもありえない話だ。予想通りだったので驚きもしない。リーダーの視線に、手を振ることで了解の意を示した。
隣に立つをちらりと見る。背筋の伸びた立ち姿は癖がなく、まるでマネキンのようだった。リーダーの視線に気づいたヤツも、「異議なし」と歯切れよく続けた。
「相手は?」
「政治家だ。ウチから金を借りたが、返済を渋っている」
渡された書類に目を通すと、なるほどきな臭い。というか真っ黒だ。金を得るための椅子を金で買う悪循環の中でパッショーネに手を出したらしいが、それこそまさに悪手だとは思わなかったのだろうか。それほど追いつめられても縋りたい椅子の値段はいかほどか。
俺は添付された写真の太ったハゲを、指先で弾いた。
「つまり、見せしめとしてブチ割りゃいいんだろ?」
「ああ」
「なるべく痛めつけて、でも原型は残す程度。粉々にすんなよ、ギアッチョ」
「ウルセー」
声を出さずに喉だけで笑ったがパラパラと書類をめくる。基礎情報の他に、ヤツの根城とその簡易な間取りが適当に載っていた。情報管理チームから回ってきたデータだろうが、まずはこの通りであるかの確認をしなけりゃならない。なにせ失敗は死に直結する仕事だ。
隣に立つその“例外”が、ふと笑った。
「ンだよ」
「いや。下調べと準備は俺、バラすのはお前ってことでいいよな?」
「ああ」
「期限は?」
「二か月の内に――とのことだが、早めに片づけるに越したことはないな」
「上等。明日から準備に入る、再来週には決行の予定だ」
「できんのかよ」
何の気なしに、ぽろっと零れた言葉だった。いつもの軽口として、バカだなと返してくるもんだと思ったが、ヤツは案外真剣な目で「やる」と言ったきり、黙った。
あのときの真剣な目が妙に胸に刺さったまま、気が付けば決行の日になっていた。
月のない夜だった。
ターゲットの根城の間取りは把握済みで、綿密な打ち合わせも万全だ。その証拠に、厳重なセキュリティを誇るはずの扉はロックナンバーを入れるとぽっかりその口を開く。設備面に頼り切ってガードマンの一人も立たせてねえガバガバ警備。内側から攻めりゃ脆いもんだ。
扉を音もたてずに閉め、薄暗い室内に身をひそませる。聞いていた通り、そこは使用人用の休憩室だった。誰も居ない室内には、誰かが飲んだまま放置したカップがひとつあるきり。
時計を見る。じきに十一時になる。
「手筈はこうだ」
昨夜、電話越しのの言った通り、人気のない長い廊下を進む。足音は毛足の長い絨毯に吸われて消えるからと、あまり気も使わずドカドカ歩いた。薄暗い廊下の先に、うっすら光の漏れる部屋がある。ターゲットのプライベートルームだ。ヤツはそこで就寝前にワインを一杯やるのが日課だという。
「酔っぱらい相手に、手加減してそこそこむごくブチ割る。それだけだ」
「テメーは?」
「使用人として潜り込んで、適当に人払いしておく」
の人払いが功を奏したのか、セキュリティに安心しすぎてもともと人気がないのか。判断はつかないが、目的の部屋まで誰とも会わずにあっさり辿りついてしまった。あとは中のハゲをブチ割るだけだ。そっと室内を窺うと、気配はふたつ。耳をそっと扉につけると、愉快そうな笑い声が聞こえた。
「ノーチェ、もう一杯」
「はい。……私の故郷のワインはいかがです?」
「美味い! さすがトスカーナ、おまえの薦めるワインはいつも極上だ」
「ありがとうございます」
写真から想像した通りの少し濁った男の声と、涼やかな女の声だった。
俺は視線を彷徨わせた。いま、ターゲットは一人じゃない。一人のところを狙えとは言われたものの、このタイミングを逃すわけにもいかない。人払いされているとはいえ、目撃されることを考えればここでぐずぐずしている時間もない。クソ、のヤツは何をしてやがる。
そう考えた矢先、室内の女が、一人に向けるにしては大きな声で言った。
「トンノさま。顔がほてっていらっしゃいますが、ここらで冷えたものなどいかがでしょう?」
「おお、いいな。果物か、ジェラートか」
「そうですね、例えば――“氷”、とか」
男が怪訝そうな声を上げると同時に、俺は扉を開けた。身を低くして駆け込み、写真のままの男の腕を狙う。直に掴んでしまえばこちらのものだ。すれ違いざま、メイド服を着た女が俺を見て笑う。にっこりなんて可愛らしいもんじゃなく、にやっとした、見覚えのあるあくどい笑み。
椅子から立ち上がる赤ら顔へ手を伸ばし、右腕を捉えた。発動したホワイト・アルバムの冷気で呼気が白く濁った。一呼吸の間にやつの右腕が色を失い、あっという間にへし折れた。聞き苦しい悲鳴を上げられ、眉間に皺が寄る。
「う、腕ッ……腕が、ああァッ! ノ、ノーチェ、助けっ……助けてくれッ!!」
「ああ、トンノさま。そんなに騒いでは迷惑になります。ただでさえ酒癖が悪くて使用人たちの評判も最悪ですのに」
「な……ンぐッ!?」
男はみっともなく床に転がってメイド服の裾に縋り付いたが、ノーチェと呼ばれた女はすっと膝をつき、手慣れた様子でナプキンを口へ押し込んだ。途端に悲鳴がくぐもる。男の表情が恐怖で引きつった。
「なるべく甚振ってな」
「人払いってのはどの程度済んでんだよ」
「ほぼ完ぺき。今日は週一の使用人を労わる日でね、こんな夜中に、しかも嫌われ者の寝室へ近づくもの好きも居ねえよ」
後ずさる男を眺めて、皺になった裾を払う女は、もうノーチェを演じる気はなくなったようだ。ぞんざいな男言葉に、男を見下ろす冷たい目に、男はどうやらやっと味方が居ないことを悟ったらしかった。
「ウ、うう、ぐううッ!!」
震える足で奥へと逃げていく男を追いかける。狙うなら足のほうがよかったか。ホワイト・アルバムで足を縫いとめようとした瞬間、男が壁に掌を叩きつけた。やけっぱちの行動かと思ったが、次の瞬間、ぼっかりと壁が口を開けた。
「な」
男がその壁の穴に飛び込むと同時に、壁は元の壁になってしまった。残された俺とノーチェと呼ばれた女と男の右腕は、黙ってその壁を見つめるしかなかった。
「なるほど。隠し部屋まであったのか」
「あったのか、じゃねーよ! 下調べ不足じゃねーか、どうすんだよこのタコッ!!」
「ほんっと、お前はうるせーな」
ロングスカートを見事にさばいてノーチェ――と呼ばれたは、男が消えた壁の周囲をぺたぺたと探った。そして指先で何かを見つけ、パチリと割り開く。壁に隠された小さな精密機械。これが入口のスイッチだろう。
「スタンドでこじ開けてブチ割ってやる」
「いいや? そんな面倒なことしなくても、自動で開く」
「は?」
隣を見て、俺の頬が引きつった。
「指紋認証タイプなんて問題にもならねえ」
メイド服姿の太ったハゲが、きつそうな襟元を緩めながら、とびきりのあくどい笑みを浮かべていたからだ。
「……あのカオ! 傑作だったな」
「そりゃあ、開くはずねえ扉が開いて、しかもその先に居んのがメイド服着たテメーだっつーんだからな。やべえ思い出させんな、く、くくく」
「やべえ、これしばらく思い出し笑いしちまうな……」
結局、ヤツの自慢の隠し部屋は都合のいいことに防音だったから、そこで痛めつけてからブチ割った。見せしめが目的だからとわざわざ部屋に撒いてきたが、凍った肉が自然解凍されていくのを想像して、毛足の長い絨毯は間違いなくパアだろうなと思った。ざまあみろ。
帰り道、かっぱらったオープンカーを飛ばしていると、助手席のは半分ほど余ったワインを瓶から煽った。トンノをバラしたあと、ヤツのクローゼットから鼻歌まじりに選んだ仕立ての良いスーツを着て、機嫌よさげに笑っている。
「おい! そのワイン、トスカーナのっつったか? 俺にも残しとけよ」
びゅんびゅん唸る風に負けないようにがなると、はもっと愉快そうに笑った。
「ンなワケねーだろ、安酒だよ! 金持ち気取りのアホには極上の味らしいけどな」
「マジかよ」
「『美味い! さすがトスカーナ』……ハハハ!」
腹を抱えて笑うは、ちゃっかりガメてきたグリッシーニを俺の口に突っ込んで、また瓶ごと煽った。新月の夜はまだ暗く、ヘッドライトだけが眩しかった。