「悪い話じゃあないだろ?」
その日、珍しく彼女は言葉を失って、黙ってライアンを見上げていた。
シュテルンビルト全土を揺るがした大規模テロ、アポロンメディア新CEOのマーク・シュナイダー氏の失脚、そしてタイガー&バーナビーの復活と、ニュースに事欠かないジャスティスデーから数日。戦闘中にマスクが吹き飛ぶほどの衝撃を受けたライアンが周りに言われるままにした検査入院から帰ってきた日のことだ。
「よお、ちゃん」
「……ゴールデンさん! もう、いいんですか」
「どこも異常なし、あとは打ち身と擦り傷ってとこ。それもこれもちゃんの愛のこもったスーツメンテのおかげってやつ?」
外は燦々と陽の照るいい天気だというのに、地下は相変わらずどこか湿っぽくて眩しい。
は相変わらずの軽口を叩くライアンに心底ほっとしたような笑みを見せ、それからその軽口の内容をかみ砕いて、口ごもった。
「……恥ずかしい言い回ししないでください。確かに丁寧にメンテはしましたけど」
「いやーどうだか? 俺が無事だって分かって泣いてたくせに」
「あれは……ちょっとびっくりしただけで」
気まずそうに目を逸らしたは、数日前のあの朝陽がまだ目に刺さっているように思えて、目をせわしなく瞬かせた。
メインカメラや諸々のデータを取るための装置が備え付けられたマスクを吹き飛ばされ、『ゴールデンライアン』の位置をロストした瞬間、の背筋は凍った。指先は震え、計算と思考がすべて飛び、目の前がちかちかした。漏れ聞こえたHERO TVの音声やタイガーやバーナビーのカメラ映像からライアンが健在であることを知って、目頭を熱くしたのは仕方のないことだと思う。
「わりーな、ちゃん。ぼろぼろにしちまって」
バディ解消宣言を終えたライアンがそう言ってトランスポーターに乗り込んできたとき、駆け寄って胸元に縋り付いたのも、仕方のないことだったのだ。
「びっくりねえ。まあ、今はそれでもいいけど」
「……それより、どうしたんですか? あと数日は療養で休みのはずですよね」
「ああ、そうそう。ちゃん、俺アポロンメディア辞めるから」
あんまり軽い口調で言われたので、はうっかり聞き逃すところだった。へえそうなんですか、とろくに内容を理解しないまま返そうとしてしまい、そこでやっと事態を飲み込み、「え?」
「海の向こうの大富豪に、ここ以上のすげえ額提示されちゃって? まあジュニアくんとのバディも解消したし、っつーか俺を雇ったCEOは解雇されちまったし。新天地に行くにはいいタイミングだと思ってよぉ」
「え、でも、まだこっちに来て長くないのに」
「『さすらいの』、って二つ名は伊達じゃないぜ。タイミングは今だ」
ライアンを呆然と見上げると、彼の色素の薄い緑の眼が、真剣な光を帯びていた。本気なのだ、と察して、もまた口を噤む。その反応を受けて、ライアンは乾いた唇を舐めてから、すうっと息を吸い込んだ。
「、俺についてきな」
「――はい?」
「俺とアンタはある意味のバディ、そう言ったのはアンタだろ? ジュニアくんのバディはおっさんに譲ったけど、アンタとのバディは解消してねえ。する気もねえ」
「ちょ、ちょっと」
「このスーツはアポロンメディアのだから持っていけねえだろうけど、スーツと俺を天秤にかけたってアンタは俺を選ぶ」
「なんだってそんなに自信満々なんですか」
「中身が俺じゃないスーツ磨いたってしょうがねえだろ」
の反論をさらりと、あるいは力技で押し返し、ライアンはとうとう黙ったの揺れる瞳を射すくめる。
「俺と一緒なんだ。悪い話じゃあないだろ?」
そう言い切ったライアンに、気が付けばは汚れた軍手を外し、手を伸ばしていた。ほぼ無意識の行動にが目を丸くする前に、それを掴む手があった。まるで言質は取ったとばかりに満足げに笑う男の手は、大きくて硬くて、温かい。
端から見ればただの握手だというのに、なぜだか胸を衝く何かがあった。
「……これで私も、『さすらいの整備士』って呼ばれるんですかね」
「なーんかしまんなくない? 重力王子にふさわしい二つ名考えとけよ」
掌をひっかかれ、緩んだ指先を捉えられ、指が絡まる。も、掴まれる強さに負けないように、きゅっと力を込めた。