きみは、『妖精』を信じるか。




 おれはただの服屋の息子だった。三人の姉に囲まれ、やつらの遊び道具としての青春を過ごしてきた、末っ子長男だ。やれ掃除だ、やれ料理だ。家業の針仕事以外の面倒なことはなんだって押し付けられた。貧乏くじを引くタイプなのは自覚していた。

 そんな俺に降りかかった一番の面倒ごとが、これだ。

 たまたま店先に立った日、普段着が欲しいと来店した軍人が、奇妙なものを肩に乗せていた。二頭身の、ちいさな女の子のマスコットだ。小学生の女の子が好みそうなデザインで、大きな目がくりくりとしていて可愛らしい。このガタイの良い軍人にはまったく似合っていなかったが、きっと娘さんからのプレゼントなのだろうと思い、そのようなことを言ってさりげなく褒めてみると、彼は目を丸くしてから、にやっと笑った。

「ほう、きみ。“これ”が見えるかね」

 意味がわからない。営業スマイルの口元が引きつったのを今でも覚えている。

 軍人いわく、それはマスコットではなく、きちんとした生き物であるらしかった。現代にある言葉を用いれば、『英霊』・『精霊』のようなもの――その場では『妖精』と呼称されたそいつは、黒目がちの瞳をしばたたかせ、おれをじいっと見ていた。

 普段着を作りたいというのも、この『妖精』の気に入る人間を探す口実のようなもので、どうやらおれはそいつに気に入られたらしかった。冗談じゃない。

「と、言われても、きみには見えるのだろう。そして、きみの姉君らには見えないという」

「姉はおれをからかうのが趣味のようなものですから、全員で口裏を合わせているのかもしれません」

「用心深いことだ」

 皺の入った顔を満足そうにゆがめて、軍人はおれの肩を叩いた。分厚い掌には、おれのとは種類の違う傷がたくさんついている。

 そんなことを考えていると、肩に置かれた手に力が込められた。

「しかし、きみは選ばれたのだ。すまないが腹を括ってほしい」

 痛いほど肩を掴まれ、笑っていない目に見つめられながらそう言われて、逆らえるやつが居るだろうか。

 その明後日には召集令状が届き、あれよあれよという間に、おれは海辺の鎮守府に連れてこられた。ここまで乗ってきた車が遠くに消えるのを呆然と見送ってから、まだふんぎりのつかないおれは荷物を片手に立ち尽くす。海軍なんて縁のない生活をしてきたのだ、おれのためらいも察してほしい。

「あの……さん、ですか?」

 そんなとき、突然かけられた声におれの背すじが伸びる。慌てて声のした方をみると、黒髪を後ろでくくった女学生がこちらを見ていた。まじめそうな表情は、どことなく緊張しているようだ。どこの制服だろう。紺地に白いセーラーカラーと無難なデザインながら、周辺じゃ見かけない制服だ。

「そうだけど……」

「よかった! お待ちしてました、こちらへどうぞ!」

「えっ」

 少女に手を引かれて案内された先で、先日の筋骨隆々の軍人とまた顔を合わせることになって、おれは目をひん剥いた。彼のぴしっとした軍服の仕立てのよさに目がいったが、次に目に入った胸元で輝く勲章と徽章がおれでも分かるほど立派なもので、またじんわりと冷や汗がにじんだ。

 軍人、もとい大尉殿いわく、先ほど案内してくれた彼女は普通の人間ではなく、『艦娘』という軍艦の依代であるらしかった。地上のどのような兵器も効かない敵と戦えるのは彼女らだけで、鎮守府はその強大な力を借りて、なんとか陸を守っているという。

 ――突拍子もないことを言われている、というデジャヴを感じながらも、彼の目は本気そのものだったため、愛想笑いも相槌もできないでいると、頬にふっとなにかが触れる感覚があった。

「うおッ」

「……しびれを切らしたか。彼女は被服の妖精でね、率直に言えば、きみには艦娘らの服を作ってほしい」

「は、はあ? 服? んなもの、わざわざおれでなくても」

「選ばれた、と言ったろう」

 びりびり空気を震わせる低い声だった。おれは言葉を飲み込む。

「ついて来なさい」

 返事もできぬ間に連れてこられたのは、なんとも落ち着いた部屋だった。大きな窓から十分に光が入り、柔らかな雰囲気の充満する一室だ。そこのある一点に、おれの視線が吸い寄せられる。

「ミシン――しかも足踏み式だ。アンティーク趣味でもなけりゃいまどき使う人も居ないでしょうに」

「あれでなければならんのだと。彼女は電気を嫌うのでね」

「はあ……」

 彼女、というのは、たぶん俺の肩を陣取っている、先日見た『妖精』のことだろう。先ほどからずっと俺の頬に触れ、楽しそうに足踏みしている。なんのリズムを取っているのかと思っていたが、もしかしてペダルを踏んでいるつもりだったのか。

「まあ、ここでどうのこうの言ってもはじまらん。体験してほしい」

「ちょ、ちょっと」

「座りなさい。準備はできているから」

 おれがまごついている間に、目の前には布と裁ちばさみ、それからあのミシンが用意された。綿でも絹でもない、ふしぎでさわり心地のいい無地の布だった。ハサミを入れるのが怖くなるくらい上質なそれに、「型紙もなしに」とぼやくと、大尉殿はおかしそうに喉を鳴らした。

「大丈夫だ。そういうものだと聞いている」

「……そういうもの?」

「ハサミを握れば、わかるはずだ」

 無言で促され、おそるおそる見慣れぬ裁ちばさみを握って、おれはその言葉の意味を知ることになった。

 ハサミを握った瞬間、布に、輝く金糸のような線が浮かび上がった。先ほどまでは確かに無地の布だったのに。慌てて大尉殿へ視線をやるが、「私には見えんよ」と笑われた。この美しい糸が見えないのはもったいないな、と思った。

 この美しい金糸は、ただおれのために引かれたのだ、と意識したら、もう止まらない。おれは先ほどの怯えも忘れ、その布にためらいなくハサミを入れた。

 丁寧に研がれた刃は詰まることなく、その線の通りに布を切り終えた。奇妙な昂揚感があった。胸はなぜだかどきどきして、ハサミを握る手がぶるりと震えた。

「それが、妖精に選ばれたきみにしかできない仕事だ。その布は妖精の力のこもった特別製でね、加護のない我々には扱えん代物だ」

「加護……」

「さあ、ミシンを」

 おれの肩の妖精が、ぱたぱたとリズムを取って急かす。

 促されるまでもなかった。おれはふらふらとミシンの前に座り、糸と針を確認する。見とれるほどきれいな黒いミシンのベッドに、布を寝かせる。

 その日、おれは一着のセーラー服を縫った。鎮守府の入り口で会ったあの子の着ていた制服だった。




 しばらく鳴っていた震動音を止め、おれは眼鏡の下の目をこすった。時計を見やれば、どうやら思ったより集中していたようだ。しぱしぱする目を開いて閉じて、それを何度か繰り返してから、またペダルを踏み、カタカタとミシンを動かす。おれのペダルさばきと肩で楽しそうに刻まれるリズムは、完全に重なっていた。

 やっと縫いあがった服を広げてみる。紺地に白いラインの入った女学生用の制服。スカートのプリーツに念入りにアイロンをあてて、ハンガーに掛ければ完成だ。ハンガーにつけた番号と艦種をメモ書きし、ずらりと並ぶクローゼットの中のひとつに丁重にしまい込む。

「吹雪型がこれで終わり、次は……また金剛型か……榛名用だから生地は赤だな」

 ここは、とある海辺の鎮守府の一室。

 おれは不運にも『妖精』が見えてしまったがために、ここで『艦娘』とやらの服を作りつづけている哀れな被服係だ。