貰えないなら作ればいいと嵐山がくれた逆チョコ 


 界境防衛機関ボーダー本部・会議室B102。通称、冷蔵庫。

 冷え冷えとした室内を見回し、嵐山准はゆっくりと腕を組んだ。

 眼前に広がる箱、箱、箱。先日エンジニアたちまで動員して資材倉庫からかき集めてきたと噂の段ボールが箱に成長し、壁沿いに群生している。あれは毎年二月になるとこの部屋に発生する風物詩のような物体である。

 聖バレンタイン・デー。殉教した聖人を由来とし、非キリスト教圏の日本では感謝や愛を添えてチョコレートを贈る行事として定着している冬の主要イベント。昨今は世論の変化によって徐々に形を変えつつある催事でもあるが、根幹はどうしたって変わらない。

 一月末から、界境防衛機関ボーダーに臨時特別窓口が設置された。メディア対策室の旗振りのもとで贈呈品の管理をするための窓口だ。主要品目は当然チョコレート。他にもクッキーやキャンディーといった菓子類から文具といった消耗品、支援物資の寄付まで含めれば多種多様なものがリストに名を連ねた。

 その大多数を占めるチョコレートを管理・保存するために割り当てられたのが、この会議室B102である。地下フロアの隅に位置するこの部屋は寒い。トリオン還元前のトリオン兵といった機密性の高いもの、トリオン電気間変換装置のメインサーバといった精密機械などが集中していることから設定温度が他フロアより低く設定されているからだ。冷蔵庫の通称は伊達じゃない。

「……ううん」

 わざわざそんな部屋に訪れた嵐山は一人、腕組みしたまま唸った。苦悩の声だ。今年のバレンタインデーは例年とは違うものになるという確信があったからだった。

 事の発端は、この部屋に運び込まれた贈呈品第一号だった。

 年に一度この時期だけ使われるテンプレートで印刷された管理票に「品目・チョコレート。宛先指定・あり。指定先・嵐山」と書き込みながら、ようやく馴染んできたらしい内勤者用スーツを着た彼女が口ずさんだのだ。

「今年もこの時期かあ」

 彼女は所属隊の解散を機にメディア対策室に転属した同級生だ。戦闘員でなくなると接点がなくなることが多いが、例外的に広報部隊である嵐山隊との繋がりは途切れなかった。確かそのときはちょうど提出する書類があって、まだ雑用係である彼女が贈呈品目録を作成しているところに居合わせたのだったと思う。

「ああ、ありがたいことだ」

「嵐山准くんは今年いくつチョコ食べることになるんだろ」

「さすがに全部は食べられないけどな」

「あは、知ってる。例年何割かは営業さんとかのお茶請けになってるもんね」

 暗黙の了解とはいえ、『嵐山准』宛にと選ばれたチョコレートを受け取りきれないことには申し訳なさもある。ちなみにボーダーを介して贈られたものは窓口から粗品で返礼、顔見知りから渡されたものにはできる限りお返しをするようにしている。そこを疎かにして成り立つボーダーではないし、それを蔑ろにできる嵐山でもない。

「私は今年も自分用だけかなあ」

「誰かにあげたりしないのか?」

「オフィスの休憩所にコンビニの詰め合わせチョコ置いたりはするかもだけど、それ以外は面倒かも」

「はは、らしいな」

 そう、彼女はこういう人なのである。嵐山は今年も義理チョコすら貰えなさそうだと察して、ほんの少し肩を落とした。

 去年まではこんな落胆を抱くこともなかった。数年来の付き合いがあるというのに、彼女が戦闘員でなくなって姿を見ることが減ってから、じわじわと自覚した好意のせいだ。しかし改めて可能性が低いことを目の当たりにしてしまうと、別の切り口はどうだろうかと思う諦めの悪い自分が顔を出す。

「まあいいんじゃないか、チョコなら好きな人も多いだろうし。俺も好きだしな」

「あれ、そうだっけ?」

「人並みには」

 まずは手始めに、意識付けから。些細なことでもやらないよりはいいだろう。

 その日から嵐山の涙ぐましい努力はしばらく続いた。彼女が差し入れを持ってきたときにはプレーンよりチョコ味を選び、彼女が居るときに一口サイズのチョコレートを食べたり、それとなく、さりげなく。

 結果から言えば、見事に失敗した。

 ちょっとくらい嵐山とチョコを紐付けたり、あげてもいいかなという気持ちが芽生えやしないかと思ったのだが、「あー嵐山にあげるの? うんうん、あげるといいよ。チョコ好きみたいだし喜ぶと思う」なんて溌剌と笑っている姿を見て、元からなかった手応えが完全に糠に釘、石に針、そういうものだったと思い知ったのである。

「じゃあ、逆にこっちからあげたら?」

 だから、その言葉には目から鱗が落ちた。

 何が視えたのかは知らないが、ラウンジで出くわした友人はぼんち揚げを囓りながらそう言ったのだ。逆に。嵐山は思わず復唱した。

「そう。まあ困りはしないと思うよ、あいつも甘いの好きだし」

「……逆に」

 暗躍が得意な彼が肩を叩いて去って行っても、どないしたんとゴーグルの男に声をかけられても、お裾分けされたぼんち揚げを片手に、嵐山は何枚もの鱗を足元に降り積もらせていた。

 こうして嵐山の涙ぐましい努力は方向転換することとなった。

 佐補が学校の友達に向けて作るチョコレート作りに便乗して、延々と板チョコを包丁で刻む係をさせられたり。市販のチョコを溶かして固めるだけではいけないということを初めて知ったり。生クリームにも種類があること、板チョコが一枚五〇グラムであること、こういう機会でもなければ意識しなかったところに目が行くようになったり。

 兄妹の取り組みに付き合って試作品の消費に勤しんできた副がさすがに飽きてきた頃、とうとう決戦の日は訪れた。

 佐補の用意したラッピングを使わせてもらったので、嵐山が持っていると可愛らしいお嬢さんからの贈り物に見えた。客観的に見ると、意図せずカモフラージュのようになってしまったなと苦笑する。誰もこれが嵐山准の手作りだとは思うまい。

 いざ渡すというときになって、嵐山の足は地下に向いていた。地下フロアB102。冷え冷えとした室内に溜まっていく箱の中身は、すべてに感情が詰まっている。

 この手元のチョコレートにも、同じくらい。

「あれ、誰か居ます?」

 はっとした。振り返ると、オーバーサイズの分厚いカーディガンを羽織った件の探し人がひょっこりと顔を覗かせていた。手元には湯気を上げる紙カップと音を立てるビニール袋。見当たらないと思ったら地下に居たのか。おそらく地下から贔屓のコンビニ近くに繋がる秘密通路を通ってきた帰りのようだった。

「どうしたの。嵐山がここに用事なんて珍しいね」

「あ、いや」

 咄嗟に何かを言おうとしたが、目敏い彼女が嵐山の手元に引っかかる紙袋を見つけるほうが早かった。頷かれる。おそらく、きっと、違う。

「オフィスに置いてくれれば私が運ぶのに」

「うん」

「用事終わったなら一緒に上がろうよ。ここ薄暗いからさあ、一人で歩くの怖くない?」

 怖がってたのか。初めて知った。

 嵐山は紙袋を手にしたまま、感情の山々に背を向けた。開いた扉に向けて、彼女に向けて歩み寄る。

「置かないの?」

 きょとんとした顔だ。可愛い。

「これ、中身は生チョコなんだ」

「へえ。おいしいよね」

「調べるとレシピもたくさん出るんだが、意外と奥深くて、俺には少し難しかったな」

「……ん?」

「よかったら貰ってほしい」

 水色の紙袋を差し出すと、彼女はぎょっとして、嵐山の顔と手元とを三度見した。こうも動揺されるといっそ面白い。こみ上げるものが抑えきれず、含み笑いが零れてしまった。

「あ、嵐山が手作りしたの?」

「ああ。副と佐補のお墨付きだ」

「わ、え、えー……ちょっと待って……私なんにも……」

 目に見えて彼女がおろおろしだす。もはや彼女から貰うケースはないだろうと思っていたので、あんまりがっかりはしない。

「あっ、そうだ」

 紙カップの中のカフェオレを揺らしながら、彼女が名案を思いついたかのように目を瞬かせた。垂れていたもう片腕がぐんと持ち上げられる。嵐山の目の前に掲げられる白いビニール袋。

「これ、ちょうどよくお腹にたまるから好き。いいおやつになるよ。結構人気商品で、タイミング合わないと売り切ればっかりなんだけど、これはさっきちょうどケースに並んだばっかりのやつ」

 彼女はセールスマンのような早口でそう言って、一呼吸置いたあと、最後に「まだ熱い」と慌てて付け足した。

「あげる」

「いいのか?」

 のぞき込むと、ホットスナック用の紙袋。アメリカンドッグだろうか。意外とわんぱくなチョイスである。

「うん。こんないいもの貰うのに、ショボくてごめん」

「ショボくないぞ」

「一〇〇円だし。おやつにアメリカンドッグって、男子高校生みたい」

「嬉しい」

 彼女がぐずぐず言っている上から「嬉しいよ」と重ねると、やっと笑った。空いた手に今度は水色の紙袋を下げて、矯めつ眇めつしている。やっぱり彼女が持っているほうがよほど似合うな、と思った。

「ていうか寒いから早く上がろ、アメド冷めちゃう」

 彼女が嵐山の背を押して急かす。「熱いうちが一番だから、美味しいときに食べてほしいから」そんなに焦らなくても、と思いながら肩越しに彼女を見て、黙ってそのまま便乗することにした。ふと覗いた耳が赤らんでいたような、そんな気がしたからだった。