とある朝の話 


 起き抜けの東くんは結構物騒だ。

 いつも穏やかに後輩を眺めている目は、壁の境目に親の仇でも居るんじゃないかっていうくらい凶悪に眇められている。廊下で呼び止められたときには優しげにきゅっと弧を描く口は真一文字にぎゅっと引き結ばれているし、いつも清潔感のある彼にだって朝いちにはちょっと髭が生えたりもする。

 私はそういう彼が結構好きだ。

 だからこうして珍しく先手を取れた日なんかは、わざわざベッドのそばで熱いコーヒーを啜ってみたりする。そうすると大抵マグカップがぬるくなる頃に彼がふと目を覚まして、五秒くらい無防備でかわいい顔をしたあと、ゆらりと視線を私に寄越す。

 ぼさぼさの前髪の隙間、いつも寝不足気味の目がもたもた瞬いて、私を捉えた。

「おはよ、東くん」

 切れかけの電池で動いている機械みたいな身動ぎ。シーツを掻き分け、彼が胸元に掛かっているタオルケットを外側に折りたたみ、大きな三角形を作った。彼の身長に合わせて選ばれたベッドは広い。

「コーヒー飲む?」

「…………ん」

 おそろしいくらい寝起きの声だ。

「眠れた?」

「割と…………」

 はっきりしない発音、適当すぎる会話。いつも言葉尻までわかりやすく語る穏やかな声も、今ここでは仕事をしない。頼れる東隊長でも一級戦功を得た狙撃手でもない、等身大のただの男の人がそこに居る。

「そっか。よかった」

 私が先にベッドを抜け出しても起きなかったくらいだ、疲れていたのだろう。東くんはのそりと体を起こし、携帯の画面を見て、ざっくり前髪をかき上げた。

「……もしかして、そろそろ出るか?」

「うん、コーヒー入れたらすぐ」

「わるい、寝すぎたな」

「起こさなかったの」

 目覚ましを見て苦笑いしたので、今朝鳴らなかったのが故障でなく故意であるのは重々承知だろう。ごめんね、と謝るかわりにコーヒーの入ったマグカップを手渡すと、ぴったりのタイミングで大きな手がそれをさらっていった。朝らしく、気持ち砂糖多め。

 素の東くん、というのがどういうものかは知らない。

 でも、気が抜けて油断している東くん、というのは最近増えてきた。

「東くんってかわいいよね」

 けほ、と小さい咳き込み。ベッドに腰掛けてマグカップを傾けていた彼が困ったようにこちらを見ている。

「同い年の男によく言う」

「かわいいに年齢も性別もないよ」

「なるほど」

 素直に受け入れたのか、反論を諦めたのか、彼は笑いを黒黒とした水面に溶かすように飲んでいる。

 私はそっと手を伸ばし、彼の顎の下に指を添えた。ぴくりと震える喉。

「なに、どうした」

「伸びてると思って」

「大抵の男はそうだよ」

「かわいい」

「……なるほど」

 この反応は呆れだ。彼はもはやされるがまま、私の行動を無視してインスタントな香りを味わっている。コーヒーが飲み下されるたびに喉仏が動いて、ああ生きてるんだな、という謎の感動があった。朝から生物の神秘に触れるドキュメンタリーを見たあとのような気分だ。

 好奇心のまま顎をさすると、ヤスリのような固い手触り。本当はだらしないはずなのに、そんな油断にどきどきした。

「時間」

 肌に触れたまま喋ったので、指に振動が伝わる。

「あと十分待てるなら送るよ」

「大丈夫、もう行く」

「ん」

「昨日買ってきたパンあるから食べて、弓手町の駅前のやつ」

「おいしいって言ってたやつだな」

「うん。ポイントカードがそろそろ溜まるから、次は食パン一斤買ってくる」

「一斤か、サンドイッチでも作ろうか」

「パーティーができる」

「うまい紅茶を買っておくよ」

 ありがとう、とか、楽しみ、とか、そういう言葉の代わりに唇をくっ付けた。甘いコーヒーの味。顔を離すと、掠める程度だったのにうっすらグロスが移ってしまっていた。

「あは、かわいい」

「……遅れるぞ」

「うん。行ってきます」

 彼は唇についたグロスも気にせず、ずず、とコーヒーを啜っている。乱れた髪が変な方向に跳ねていて、それもまたかわいい。

 起き抜けの東くんは結構物騒で、油断していて、かわいい人である。