『次は技術詰所第一、技術詰所第一。お出口は右側です』
界境防衛機関ボーダー内部は見た目以上に入り組んでいて広い。そのため、地下に広々と広がる各施設を繋ぐトリオン製の環状線が敷かれている。弾体・カバー・噴進剤で射出する銃手トリガーの考えを応用して作られた環状線型コンテナは規模の割に消音性も高く、大量資材の搬入や人の移動に大変重宝されていた。
かくいう私も主要利用者の一人である。元々は隊員として入隊して、二年前にエンジニアに転向した。日々改良に励む地下暮らしは案外肌に合い、社会人となった今も矢面に立つ隊員たちを陰日向に支えることをやりがいにできている。
この環状線はどちらかというと隊員より研究員の利用頻度の方が高い。なぜかといえば研究用施設が地下に集中しているからだ。だから環状線で見かける隊員といえば、研究に協力してくれているサイドエフェクト持ちや那須さん、あとは一握りの二足のわらじを履いている人でほとんどになる。
その一握りが、乗り込んだ車両の目の前で寝ていた。
肩につくほどの黒髪が目元を覆っているが、絶妙に倒れないくらいの角度で微動だにしないあれは、間違いなく寝ている。東くんが寝ている。あの東くんが。
東春秋はボーダーと連携している大学での研究チームの同期で、私よりも早くボーダーに入って狙撃手隊員として活躍しながら後輩を育成し、防衛任務やランク戦と平行してトリオン研究にも携わっている人格者である。こう書くと、なるほど後輩たちからの信頼が厚いのもわかる。
しかし、後輩が居ない場での東くんを知っている私からすれば、彼も意外と普通の二十代だ。酒も嗜む、麻雀も打つ、たまに喫煙所までやってきて私の煙草をせびっては寝不足の目を瞬かせているし、釣りに同行した私が生き餌が付けられないと騒いでいるのに対して笑うだけで結局助けてくれない程度には慣れた相手の扱いが雑だ。後輩にどう見られているかを自覚しているんだろうから、そういうところはあまり表に出さないようにしているのかもしれない。
環状線の悪いところは終点がないところだ。
人気のない最後尾の車両には乗客が私しか居らず、彼もまたそれを好んで乗ったのだろうが、寝落ちてしまってはどうしようもない。彼が私の乗ってきた方面に用事があることは業務上ほぼないから、もしかして二周目、あるいは三周以上していたりするのだろうか。まあ、だとしても騒ぎになっていないようなので、東隊が困っていたり集団での狙撃手訓練があったりということもないだろうけれど。
疲れているんだろうな。そりゃそうだ。かくいう私も家に帰れるのは三日ぶりである。
ここ最近、ボーダー近郊への誘導装置が効かない門が出てきた。誘導装置の故障かバグか、大規模侵攻時と同様の人的被害の出る状況に技術主任である鬼怒田さん他大勢のエンジニアが知識を振り絞って対応に追われてきた。結局は「誘導装置の効かない未知の門、仮称『イレギュラー門』が出現した」と結論づけられ、防衛任務をより密に行うことで暫定対応とされた。
イレギュラー門と言えば簡単だが、警戒区域外に出現する門は悪夢そのもので、イレギュラーの一言で済ませてもらっては困る。どうにかこれも誘導装置で対応できないか、という要望で私の部署は地獄を見ていた。出動要請を受ける隊員も大変だろうが、上は洪水・下は大火事といったように花形も裏方もどこもかしこもてんてこ舞いなのである。二足のわらじを履いている東くんが大変でないわけがない。
声を出すのも億劫だったので、私は一つ席を空けて東くんと同じブロックに腰掛けた。ここから目的地まで停車駅は六つ。四つ過ぎたら起こしてあげよう。
そう思って瞬きをした次の瞬間、気づいたら駅は九つ進んでいた。
「えっ」
跳ね起きた私が周囲を見渡す間に、開いたドアから冷たい風が吹き込んでくる。相変わらず人気はない。すぐ隣には東くんが居る。肩に凭れた頭が重い。私が動いたことでポジションがずれていやだったのか、低いうなり声がした。
「あ、うわ、閉まった」
「……いまどこ」
「第三格納庫」
「……いま何時」
さっき私が乗り込んできてから二十分経っている。座った瞬間に電池が切れたようだった。なんてことだ、私も東くんのことを笑えない。
「とりあえずおはよう」
「……ああ」
「何周目?」
「……二……いや三」
「後輩が見てなくてよかったね」
「……そうだな、お前も寝てたのか」
「起こしてあげようと思ってた」
「俺もそう思ってたよ」
だんだん目が覚めてきたのか、とろとろ喋っていた東くんがいつもの調子を取り戻してきた。崩れていた体勢をお互い立て直しながらバッグを抱え直す。目的地は反対方向だ。どこかで乗り換えなければ。
「どっかで起きた?」
「たぶん、詰所第二くらいで一回起きた」
「へえ」
「で、お前が寝てて、倒れそうだったから詰めた」
ああ、だからすぐ隣に居るのか。寝るつもりじゃなかったから一人分空けておいたけどそれは助かったかもしれない。最近冷え込むようになってきたからくっついている側が温かい。
「東くんがあと数駅起きててくれたらな」
「それはお互いさまだな」
まだ本調子でない頭同士が中身のない会話をしている。私はのろのろと鞄を開き、おとといボーダーの売店で買ったガムを噛み始める。東くんにも差し出すと、彼も軽く礼を言いながらそれを口に放り込んだ。
「これが一番辛いよね」
「ああ、これだな。俺も机に入ってる」
「わかる」
顎を動かす。喉が熱くて冷たい。扉が開く。風が吹き込んだ。
「降りるの面倒だね」
「そうだな」
眠たげな目をのんびり瞬かせた東くんが腰を落ち着けて動かないので、私もそのまま乗り過ごすことにした。まあいいか。眠いし、寒いし、温かいし。ああ、環状線でよかった。
誰も乗らない、誰も降りない。目の前で扉が寂しく閉まった。