骨とか肉とかの境目が軋んで、固まってない器をむりやり大きくするような、そういう痛みは経験したことがある。こいつは大人しく寝ているだけで痛むものだからいやになって唸っていたりしたものだが、痛むのは伸びるから、それだけ大きくなれるのだと諭されて我慢してきた。その甲斐あってか平均を少し超すくらいには成長し、今では故郷を出て人ならざるものを斬ったりしているのだから、未来は想像がつかないものである。
指定された市街地Bは、いたってノーマルなマップだ。市街地Cのように高低差があるわけでもなく、市街地Dのように大型ショッピングモールがあるわけでもない。三門市の各地にある警戒区域をそのまま映したような平凡な街並み。生駒は肩をぐるりと回し、ゴーグル越しの目を眇めた。
「アカンな」
転送された先は人家の廊下だった。ランダムとはいえ、狭い屋内スタートはレアパターンを引いたらしい。麗らかな日差し、穏やかな午後、温かみのあるカーテンが揺れ、人の気配だけがない日常の一コマ。祖父から居合の手ほどきを受けてきた経験から室内に土足で踏み入るのに人並み以上の抵抗がある生駒は、気持ち足早に出口を目指す。おそらく相手は近くに居る。ドアノブを捻って警戒しながら扉を開くと、同じタイミングで目の前の扉も開いた。ここって鏡やったっけ、と素で思ってしまった。
「あ」
ランク戦より狭く設定されている転送範囲に人家が密集している市街地Bだ、お互いがマンションの一室に転送され、同じようなタイミングで外に出てきてもおかしくはない。
それはもう反射だった。相対した彼女が弧月を抜刀するより、生駒の一閃のほうが早い。狭い空間で振り切られたとは思えぬ生駒旋空が、開かれた扉ごと相手を真っ二つに切り開いた。
「四対一! 追いつけないなあ」
「一取れとるんはえらい進歩やで」
「それはそう。すごいでしょう」
五本勝負の最終戦をもはや不意打ちで締められた彼女は、四本目でもぎ取った執念の一本のログを見て満足そうである。彼女は大学の同期であり、同じ攻撃手として鎬を削る相手だ。なんでもとあるランク戦で決められた生駒旋空を見て生駒のファンになったらしく、こうしてたまに挑まれては斬るを繰り返している。最初こそ生駒が圧勝していたものの、何度も斬られていれば耐性がつくのか、彼女の対生駒の戦績は僅かながら向上してきていた。お互い、身になる鍛錬相手である。
「それにしても、切れ味増してない?」
「鍛錬相手がええんや」
「あは、それなら嬉しいけど。生駒は優しいね」
どこの隊にも所属しておらず、防衛任務だけ参加しているソロ隊員の彼女は積極的にポイントをやり取りしないため、弧月ポイントランクとしては全体の中ほどあたりに居る。おそらく、狙おうとすればもっと上に居るんじゃないかと生駒は思っているが、彼女は「生駒は優しい」とそれを謙遜してばかりだ。しかし、鍛錬相手がいいのだとは生駒の本心だった。
「じゃあ、またね。来週の小テストがんばろ」
「ほんならまた来週」
踵を返す彼女は肩越しに柔らかく微笑んで、小さく手を振った。かわいい。反射的に口からこぼれそうになるのは生駒の癖みたいなものだったが、胸がぎゅうと痛むのは決まってこういうときだった。いてて、と呻きながら胸をさする。よし、今日も痛んどる。
この痛みには覚えがある。彼女と目が合ったり、たわいもない話をしたり、手合わせをしたりするときによく起こる。
「成長痛やねん」
はあ、と水上がワンテンポ遅れた返事をした。
トレーニングルームの前で胸を押さえて立っていた生駒を見かけて声をかけてきた彼と連れ立ってやってきた休憩室で、スポーツドリンクを手にした生駒は至って真顔である。
「ええと、何の話してるんかわからへんのやけど。イコさん、どっか痛むん?」
「やから、胸が」
「胸」
「胸っちゅうか心臓……ここらへん、ここや」
生駒は真顔のまま、どこか悩ましげに水上の鳩尾から心臓あたりに拳を当てた。内臓が痛む、それってあんまりよろしくないんちゃうん、と水上が口を開きかけたところ、まじめな顔をした彼が自身の胸元をさすりながら「育っとんねん」と訳のわからないことを続ける。
「えっ……イコさん……胸育つん?」
「育たへんわ、育ったらオモロすぎやろ」
「ええ? ちょっと訳わからんわこの人」
「トリオン器官の話や」
「は?」
「やから、トリオン器官の成長痛やねん」
冷たい缶の結露を撫でてから一口煽って、生駒はしみじみ言う。水上は胡乱げな目で生駒を見ている。
「心臓の近くが痛むねんけど、そんなん心臓横にあるトリオン器官しかあらへんやろ」
曰く、心臓横にある見えない臓器・トリオン器官。そこは十代のうちに成長して、扱えるトリオン能力を大きくするらしい。肺活量を増やすみたいに鍛錬することは可能で、成長自体が止まっても全盛期を維持することも可能である。そのトリオン器官が、成長痛を引き起こしていると解釈しているというのだ。
「お前もあるやろ、まだ伸びしろあるんやし」
「イコさん」
「ていうか俺でこれやったら雨取ちゃんとかどないするん、あんなちっちゃい子なのに不憫や」
「イコさん」
「なんやねん」
「その痛み、擬音にしてみてくれません?」
唐突な提案に怪訝そうな顔をした生駒は、それでも素直に胸元に手を添えて痛みを表そうとする。自分の胸に手を当ててよく考えている。
「ギュウ」
「もうちょい」
「キュウ?」
「あとちょい」
あと一声。
水上の祈りが届いたのか、生駒は首を傾げて、とうとう答えに行き着いた。
「キュン?」
「はい」
「…………は?」
「イコさん……」
「え? 嘘やん、これ? これがキュン? 心臓絞られるみたいやのに? え? 世の中の人ヤバない?」
眉根を寄せた大真面目な顔の隊長を見て、水上は耐え切れずに笑いながらその肩を叩いた。