メドゥ


「おい、アトシュ……このぼろ雑巾が、なんだって?」

 カツン、と杖を鳴らし、真紅の鎖の元締めの一人・メドゥは怪訝そうに足元のそれを眺めた。亀の獣人である彼の巨躯と比例した迫力に、傍に居た構成員が小さくのけぞる。それに気付かなかったふりをしてやりながら杖の先で“ぼろ雑巾”をつつくと、それは小さく呻いて背を丸めた。それに便乗するように革靴がその背をのしりと踏みつける。

「ああ? だから、例のガキだっつってんだろ」
「は! 依頼されたのは金持ちの当主の誘拐だろうが。随分つまらねえジョークを吐くようになったもんだな……あ?」

 若頭・アトシュの足の下で転がる少女は、彼が体重をかければ今にも潰れてしまいそうに弱っていた。見るからに不健康そうな青白い肌と痩せた体。纏う衣服が辛うじて上等品のボーダーラインに乗っかっているくらいで、とてもあの豪奢な屋敷の主だとは思えない。

「――お嬢ちゃん、顔を見せてくれるかい」

 低い声が、僅かに和らぐ。それは相手を安心させ、油断を誘うためのギャングの常套手段だが、少女はわずかに身じろぎしただけだった。メドゥは黙ってロギンズへ視線を送る。一瞬ぎくりとした彼は、慌ててひざを折り、少女の身体を引き起こした。傷ついた細い指先は、ぞっとするほど冷たい。

「う……」

 乱れた髪の下で、瞳が弱弱しく瞬いた。案外綺麗な顔をしている。もし交渉が決裂したら、それなりの値段になるかもしれない。ほんの一瞬でだいたいの値段と売り先に目星をつけて、メドゥは葉巻をくわえた口をにたりと歪めた。

「お嬢ちゃんよ。自分の立場は、ちゃんと分かってんだろうな?」

 ロギンズに支えられた小さな体が、頷く。物わかりもいい。従順な少女はいい商品だ。

「イイコだ。なあに、大人しくしててくれりゃあ、何にも痛いことなんざ――」
「も、元締め」
「あ?」

 視線を少女からロギンズへずらすと、彼は居心地悪そうに肩を竦め、「何か、言ってます」、と短く言う。なにか? 目を細めるだけで言いたいことは伝わったのか、彼は少女の口元へ耳を寄せた。

「……あぁ? お嬢ちゃん、もう少しはっきり――え?」

 オールバックにして固めていた前髪が、ぱらりと落ちてくる。それを直すこともできず、ロギンズは口を半開きにしてたっぷり一秒固まった。

「……おい、間抜け面してんじゃねえぞロギンズ! 何つった?」

 こらえ性のないアトシュが真っ先に黒服の背を蹴りあげる。結構容赦ない痛みを我慢しながら、ロギンズは聞いたままを口にした。

「……“おねがいします、ここにおいてください”、です……」

 翌日の朝、部屋の扉を杖でノックして開くと、そこにはロギンズと少女が居た。一晩経って朝日の下で見てみれば、彼女はまだ幼さが残る儚げな少女だった。心なしか昨日より顔色もいい。ぱちりと睫毛を震わせた彼女は、口に運びかけていたパンを皿へと戻した。

「ああ、気にせずに食べてな。食費はお嬢ちゃんの身代金だからよ」
「……はい」
「おう、聞き分けのいい子は長生きするぜ」

 一口大にパンをちぎって食べる所作、ぴんと伸びた背すじ。どうやら育ちがいいのは間違いなさそうだ。その様子を値踏みするように眺めていると、パンを飲み込んだらしい彼女が口を開いた。

「昨日は、ごめんなさい」
「それは、質問にも答えず寝ちまったことか? ベッドと食事と風呂を与えてやったことか? 人の時間を食ったことか?」
「……全部、です」
「まあそりゃ金で払ってもらうだけさ。それよりよ、お嬢ちゃん」
「あの!」

 メドゥが切り出しかけたところで、それを制したのは意外にも彼女自身だった。今まで聞いた中での一番の大声に、なぜだかロギンズが驚いた。

「ぜったい迷惑かけません、ここに置いてください」
「迷惑だよ。お嬢ちゃんみたいなガキが生きられるような甘い場所じゃねえ」
「でも!」
「何が不服なんだ。屋敷に帰りゃあ、あったかいベッドも食事も十分あるんだろうが?」

 口にしてから、果たしてそうだろうかと疑問が降ってきた。

 食事も睡眠も十分に与えられていた人間が、こんなに病人のようになるだろうか? 考えられるもう一つの可能性は、彼女が特殊な訓練を受けた“誰か”だということだ。例えば真紅の鎖の訓練所ならば、どんな場所にでも忍び込ませられるようにと様々なことを矯正させられる。メドゥの目が剣呑な光を帯びると、少女は恐怖に肩をはねさせた。

「も、元締め」

 あまりに痛々しく怯える少女を見ていられず、ロギンズは助け舟を出してしまう。こういう慎重に事を進め、地味で堅実な成功を狙える我慢強さがあってこそ、彼はアトシュの右腕でいられる。実際、メドゥもそこを評価しているから彼女を預けたのだ。

「……ああ、悪い悪い。で、話を戻すがよ。誘拐されといて帰りたくないってのはどうしてだ」
「もう、あの部屋に、戻りたくない……から」
「おいおい。家出の口実にされるたあ俺たちもナメられたもんだぜ」
「でも確かに、コイツが居た部屋は厳重に鍵がかかってて手こずらされました。屋敷の奥の方、本と紙とインク、ガラクタばっかりの妙な部屋で……部屋にだって、とっ捕まえた世話係のメイドが居なきゃ辿りつけたかも怪しいくらいで」

 彼女が肩を抱いて、唇を噛んだ。その表情から、なかなかに洒落た部屋だったのだろうと想像がつく。しかし、まだ年端もいかない少女をそんな部屋に閉じ込めるメリットとはなんだ。

 ふと、握りしめていた手を緩め、彼女がメドゥを見上げた。意外にもしっかりした視線で、獣人であるメドゥにも物怖じしないその姿勢は素直に気に入った。

「……わたしが、あの家の当主か、疑ってるんですよね?」
「ほう? どうやら、頭の回転も悪くなさそうだ」
「紙と、インクをください。証明する、から」

 証明する、とは、どういう意味か。

 目の前の少女が、床に広げた大きな紙に、迷うことなくペンを走らせていく。複雑な文様は、もしかしたら文字かもしれない。最初に描いた大きな円の中心に腰を落として、一心不乱になにかを書き表していく様子は、まるで彼女に何かが乗り移ったようにも見えた。いっそ異様ともいえる雰囲気の中で、少女が顔を上げたのは、どれだけ時間が経ったあとだっただろうか。

「……魔方陣、か?」

 身動き一つとるのさえためらわれたロギンズが、安堵の息を吐く。少女はそれに頷きで答え、自分の胸元からリボンを解いた。つやつやと光るいい生地であろうそれを円の中心に据え、少女はまたぎゅっと目を瞑った。

「――っ!」

 次の瞬間、ロギンズは目を大きく見開いた。静電気が全身に走るような感覚に、ぞわりと背筋が冷える。これには覚えがある。魔力発現の衝撃が空気を伝わっているのだ。稀に召喚師とやりあうことになると嫌でも味わうこの感覚にはいつまで経っても慣れない。

「おい、お嬢ちゃん! 何をやってやがる!?」

 いよいよ理解ができないと声を上げたメドゥだったが、その直後、部屋の中を目が眩むほどの閃光が包んだ。

「うおっ!?」
「……な、なんなんだ、一体……」
「でき、ました」

 何が起こったのか把握できていない二人を置き去りに、少女が立ち上がり、先ほどのリボンをメドゥへと差し出した。それを怪訝そうにつまみ上げると、まだ光の余韻の残る目を眇め、そして丸くした。ぼんやりと伝わる魔力。

「こりゃあ……呪具か?」
「呪具?」
「響融化以前から存在した、服従召喚術の真似事ができる代物だ。今も裏ルートでは高値で取引されてるもんだが……お嬢ちゃん、アンタ何者だ?」

 目の前で行われた一連の作業を見て、この少女が少なくともただの子どもではないということは分かった。もはや威圧感を隠すことなく、メドゥはじろりと少女を見下ろす。

「……これは、わたしの家に代々伝わる、呪われた技術です」
「ほう?」
「古来より召喚術は、もともと家ごとの秘伝として受け継がれてきました。あの家に伝わる呪術の秘伝は、口伝えで両親からわたしへと伝えられました」

 一呼吸おいて、恐る恐る少女はメドゥを見上げた。

「これでわたしがあの家の人間だって、証明できましたか……?」
「オーケー、信じよう。今のところはな」

 確かに、少女が言うように呪具を裏取引の材料にしているならば、あの家の響融化後からの急な復興も頷ける。あのきな臭い依頼人が、一見普通の良家である彼女の家を名指しで出してきたのもこれが理由だとすれば理解できなくもない。

「で、そのパパとママはどうしたよ。まだ恋しい年頃だろう」
「事故で……」
「ああ、そうかい……そりゃ悪いことを聞いちまったな」

 申し訳なさそうなポーズを取るメドゥは、内心でパズルのピースが埋まっていくのを感じていた。急に“事故死”した両親と残された幼い当主、その後見人のおじとおば。少女を狭い部屋に閉じ込めてやらせていたであろうこと。

 そして、依頼人の思惑。

「――ふ、ククク」
「ど、どうしたんです元締め」
「いやな、世の中には面白いことをしでかす馬鹿が案外いるもんだなと思ってよ」

 じいと少女を見下ろす。

 ――あの屋敷の当主を“誘拐”してほしい。まだ幼い少女だから。

 そう言ったあの女は、深々とローブで顔を隠していたが、手先は水仕事や針仕事で作ったであろう傷が多く、痛々しかった。身代金の分け前は二割でいい、と言ってはいたものの、たぶんもう真紅の鎖と、この少女と関わる気はないだろう。犯罪代行組織をこんな風に使おうと思うなんて、ある意味メドゥよりあくどい人間だ。

「よし、お嬢ちゃん。いいぜ、期限付きでおままごとに付き合ってやるよ」

 そう軽く言い放つと、少女はぽかんと口を開けた。彼女の横で全く同じ顔をしたロギンズは、一秒経っていち早く立ち直り、焦ったように叫ぶ。「も、もも元締め!?」衝撃のあまり上手く呂律が回っていない。

「なにを言ってるんです、ガキですよ!」
「別にただ飯食わせようってんじゃねえんだ。家の金と、その力をうちにちょっと貸してもらえりゃそれでチャラにしよう」
「……いい、の?」
「おう。お嬢ちゃんには硬いベッドとメシ、それと自由だ。悪くねえ話だろう?」

 きっと、場所が移るだけだ。やることはあの屋敷の奥部屋と変わらない。自由と言ったって、完全に野放しにするわけがない。嘘を巧妙に忍ばせるが、十割が偽りでないのはそれが信条だからだ。

「……うん!」

 それでも彼女は頷いて、花が綻ぶように笑った。青白い頬に少しだけ赤みが差したそれは、ここにきて初めての笑顔だった。

「ねえ、どうかした?」

 セイヴァール・アベニューの人ごみの中、先ほどからうろうろと歩いては困ったような顔をして落ち着かない少女がどうにも気になって、青年は小さな肩を叩いた。肩をはねさせ、目いっぱいに驚いた顔をした少女は、彼の後ろに立っている機械人を見てさらに表情を固くさせる。

「ぼ、僕らは怪しい者じゃないよ! 僕は調停召喚師で」
「ボクがその響友で……って、もしかしてボクが怖がられてるの、かな」
「あ、ごめん、なさい。びっくりしちゃって」

 少女は幼いながらに礼儀正しく頭を下げた。さらりと肩口から零れる髪はやわらかい。きっと家族に大事にされているのだろうな、と赤い髪の青年は目元を緩めた。

「誰かとはぐれちゃった? それなら一緒に探すよ」
「今日は、おつかいなんです」
「一人でおつかいかあ! えらいね」
「じゃあ、もしかして迷っちゃった? 人通り多いし、ボクらも来た頃はよく迷ったよね」
「そうそう。それで、せっかく寝坊せずにおきられたのに授業に遅刻しちゃったりして……」

 ふふ、と口に手を当て、少女が小さく笑った。それを見て、青年は中腰になって少女と目線を合わせてやる。整った顔立ちをした彼女の頬は、健康そうなばら色だ。

「どの店に行きたいの?」
「えっと、このお店……」
「ああ……この雑貨屋なら、そこのケーキ屋の角を曲がったところだよ」

 見せてもらったメモの字は、どうやら老人のものらしい。店の名前と一緒に、葉巻とキャンディーと走り書きされていた。かわいい孫におつかいをさせるために書いたものかもしれない。微笑ましさに頬を緩めてパッフルズを指差してやると、彼女は安心したように目を細めて笑った。

「ありがとう、召喚師さん!」
「ううん、気を付けて行くんだよ」
「おつかい、頑張ってね!」

 少女は笑って、スカートを翻しながら人ごみの中に紛れていった。きっとおつかいは上手くいくだろう。

「いい子だったね」
「きっとおつかいできて褒めてもらえるよ。……って兄さん、管理官さんに呼び出されてたんじゃなかったっけ!?」
「うわわわ、わ、忘れてた!」

 赤い髪の調停召喚師も、身を翻して慌てて背の高い建物へと走った。その後を機械らしい足音を立てて追う響友。

 これは、街に異変が起き始める、少し前の話。