ケルマ


「お嬢様、失礼」
「は?」

 帰宅なされたお嬢様に、一歩近づく。ふんわりと香水が広がり、私の見立てはやはり間違っていなかったと満足げに微笑み、私のスラックスに結びつけられた皮袋からひとつ、石を…サモナイト石を取り出す。それは光の当たり方によって色を変える、紫色の、サプレスの誓約済みのサモナイト石だ。最近、私の手持ちの召喚獣の中で一番働かせてしまっているだろう、リプシーを召喚する。

「…なんですの? 藪から棒に」
「じっとなさってください」
「だから」

 そしてリプシーの温かな光が、一瞬の内にケルマ様を包み込んだ。お嬢様は驚いたそぶりを見せましたが、すぐに瞑目する。サプレスのマナが、リプシーを通してお嬢様に入り込んでいく。重い武具をつけた腕が、ほんの少しだけでも軽くなればいい。

 どうして治癒召喚術を…、と、リプシーを送還する私に掛けられた声には、疑念が漂っていました。リプシーを指先で撫でてやり、消えゆくのを見送って、作法通りに主人へ向き直った。

「申し訳ありません、お嬢様の美しい顔に傷が残ったらと思えば」
「…は」
「擦り傷が」

 ここに、と、お嬢様の頬に手袋ごしに触れさせていただく。お嬢様に仕えはじめて何年経ったか、お嬢様が召喚師としてのお勉強を始めた頃からだから大分経っている。私もお嬢様も幼い頃から、ずっとお側においていただいているからこそ、こんな風に触れることを許されている。

「あら、本当ですの?」
「もう癒えました」
「それはご苦労ですわ」

 お嬢様が微笑み、きらきらと首元の装飾品に負けない輝きを放つ。本当は、お辛いだろうに、と私はその笑顔になんと答えればいいのか迷って、いつも通りのお辞儀に落ち着いた。

、腕を」
「はい、かしこまりました」

 (お嬢様、お嬢様、申し訳ございません)

 金属で固められた武具から、すらりと白く細い腕が現れる。金具が音を立て、私の手の中に収まる。ずしりと重たいそれは、私の心の底に沈殿しているそれよりずっと軽い。今にも泣き出しそうになり、慌てて目を伏せた。

「今日もご苦労でしたわね、下がってよろしい」
「はい、…お嬢様」

 (「本当に、あの方には手を出さぬと、誓えるのか」「ええ勿論ですとも、…くっくっく!」)あの銀髪の男は、ファナンに攻め込むつもりだと俺に伝えた。その上で取引を持ちかけてきた。

 金の派閥のファミィ・マーン様の聖王都への出発の時間と、ルート。同行するケルマ様には危害を加えぬという、その条件を、俺は飲んだ。えずきながら、泣き叫びながら、悪魔の提案を受け入れた。


「はい?」
「おやすみなさいませ」

 私に微笑みかけないでください。裏切り者の私を、断罪してください。

 言えずに今日も、笑顔でそれを覆い隠す。

「お休みなさいませ、お嬢様」