「あれま、先客…」

 恐ろしいくらい穏やかな、まさしく麗らかな午後。私の指定席と化した窓際一番奥のベッドには、カーテンも引かれずに誰かが横たわっていた。もちろんいつもの私ならば邪魔したなと別のベッドへと向かうところだけれども、こいつに特等席を譲るのはなんだか癪な上になぜカーテンを引かないかとか、色んなことを聞きたい。至った結論は至極簡単なものだ。ギシ、軋むスプリングはなかなか生徒に評判で、卒業する前は入り浸りだったなあ、なんて少しばかり前のことを思い返してみたりして、長いまつげで保護された寝顔を覗き込む。

「…よくお眠りで」

 私がここに居ることや、さてどうやって起こしてやろうかと考えていることなど露知らぬ顔で眠りの世界の住人になっている滝夜叉丸は、寝ているのだから黙っている。いつものように自慢話が始まる唇だって微かに開かれているばら色、ちらりと覗く白い歯が眩しい。本当に、黙っていればなんとやらの代表格である私の想い人はどうしてこうも整った顔立ちをしているんだろう。
 自慢話、いやこれは事実を述べているわけで、…ぐだぐだ。いつものそれを聞くのが楽しみになったのはいつからだっけ、と私はしばし思案するけれど答えは出ない。他の男子が着たって着こなすことは難しいと思われる薄紫のカーディガンは綺麗に畳まれて、ベッドサイドの小さい机にそっと置かれている。その畳まれたカーディガンのポケットが妙に膨らんでいるのに気づいて、私はそっとそれを取り出す。

「………」

 キャンディが、三つ。カラフルなそれはフルーツの味のものらしく、三つとも色が違う。持ち物ですら華やかというのはなんというか、笑えた。滝夜叉丸らしいというかなんというか、そう、滝夜叉丸と華やかさというものは常にくっついていないといけないような、そんな気にすらなる。それはきっと一緒に過ごしてきた年月がものを言うのであって、今までの経験も如実にそれを語る。
 強いて変わったところといえば、と私はカーディガンの隣にひっそりと身を潜めていたそれに手を伸ばす。

「…げ、何これ…伊達?」

 最近、滝夜叉丸が眼鏡を掛け始めた。自慢話で一番に出てくるのは自分がいかに美しいか、次に出てくるのはどれだけ優秀な成績を修めてきたかということで、成績がいいのは事実なのだから勉強は欠かさないのだろう。放課後の図書室の片隅で密かに予習や復習をしていたのは私だって見ているし、知っている。だからきっと努力の代償として眼鏡ライフをスタートさせたのだろうと思っていたのだけれど、…とんだ間違いだったらしい。滝夜叉丸はなんだってトップで、視力・聴力ともに異常なしなのも自慢になっていたし、滝夜叉丸に限って度が入った眼鏡なんかするはずが無かったか。
 あれ、じゃあなんで眼鏡?

「…変なの」

 伊達だって本物だっていいけれど、眼鏡をかけた滝夜叉丸は今まで以上に人目を引くようになって私としては心中穏やかでない。これ以上、滝夜叉丸が遠い人になってしまうのは嫌だ。ただでさえこうやって、友人という線引きにみっともなくしがみついて滝夜叉丸の傍を離れたくないと格好悪いところを晒しているのだし、このまま友人という位置づけのまま可愛らしい彼女でも紹介されたらそれこそ私の心はズタズタだ。
 枕に散らばる髪を一束摘んでみると、重さに耐え切れずにするりと指の間からまたシーツへと落ちていく。髪が綺麗すぎてこれじゃあまとめるのも大変だろう、するすると気持ちのいい指通りに、私の髪の毛を見やる。毛先が少し痛んで、滝夜叉丸の髪の毛とは比べ物にならない。一生懸命手入れをしても、滝夜叉丸のように生まれ持った髪質というものはやっぱり卑怯だ。敵いっこない。

「…………?」
「…、…え」
「…私の眼鏡…」
「え、あっちょ、ご、ごめ」

 なんてことだ、たたき起こす前に起きてしまった。それはそうだ、ベッドの脇に座って、滝夜叉丸の私物を勝手にいじってあまつさえ髪を触っていたのだから昼寝程度の睡眠中の滝夜叉丸が起きてしまうのも仕方が無い。私の馬鹿、…もっと馬鹿なのは眼鏡をかけたままの私だ。伊達ということで違和感を覚えなかった私はそのまま、プラスチックのレンズ越しに居る目を細めた滝夜叉丸を見つめていた。慌てて外そうとすると、滝夜叉丸の綺麗な指に手を止められる。

「な」
「眼鏡、気に入ってくれたか」
「…は」
「お前が、…が好きだというから」
「何、寝ぼけてるの? 滝夜叉丸」
「眼鏡をかけて、知的な男が好きだと言っただろう」

 寝ぼけているのかいないのか、気にし始めたら止まらないプラスチックのレンズは視界をクリアにはしてくれない上に思考まで邪魔をする。どうして外させてくれないのだろう、滝夜叉丸の顔が上手く見えないのに、ちゃんと見たいのに。

「…滝夜叉丸、ちょ…」
「……本物でなくて悪かったな」
「何言って」
「もっとお前の理想を聞かせろ」

 真顔でなんてことを言うんだ、この男は。こっちは心臓の鼓動が激しすぎて肋骨が痛み始めそうで怖いっていうのに、握られた手が熱くて熱くて仕方が無いのに、あまりのことに私は何も言えない。そのまま動けない私を置いてけぼりに、滝夜叉丸が握っていた手をゆるりと解いて、私の指先を甘噛みした。

「そうしたら、もっとに相応しい私になってやる」