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「…また食満先輩と殴り合いですか、いいご身分ですね」 「………開口一番が嫌味か」 見るも無残な姿になっているだろう俺を見下ろして、溜息と同時にその女はそんなことを抜かした。 ここは保健室で、こいつは保険委員。居るだろうと思った伊作は俺とさっきまで殴り合いをしていた食満留三郎の手当てに向かったようだ。同じクラスとはいえなぜこの女に俺の手当てを任せるのかと内心で嫌な顔をしておく。正直に言おう、俺はこの女が――が苦手だ。決して嫌いというわけではない、苦手なのだ。なぜかといえば俺はこの女を嫌うほどのことについて知らない。 「口、閉じて下さい」 「…」 「消毒液が口に入ってもいいんですか」 いつの間に口が開いていたのか分からないが、たぶん口を閉じていたら殴られた場所が痛むから無意識だろう。言われた通り、そのまま開けていたら消毒液を飲まされそうだったので慌てて閉じる。すると、彼女の毒々しい言葉とは正反対の優しい手付きで口元を拭われる。思わず痛みに眉を潜めると、表情を変えないで下さいと静かな声で告げられる。 「…相変わらず隈が凄いですね、その割に成績の向上は見られないようですが」 「余計な世話だバカタレ」 「会計委員長は口が悪いですこと」 涼しげなその目元、薄い唇、嫌味ったらしいくらいこの女は見目はいい。そして息をするように自然に俺への嫌味を口にする。色が白いところと長い髪はどことなく仙蔵を髣髴とさせる。そういえばこの女も火器の扱いが得意らしいな、忌々しい。 「そういえば、何かある度に壁に頭を叩きつけるのも止めて下さいますか」 「お前に言われる筋合いはない」 「毎回壁の修繕に向かわれる食満先輩のためを思ってです」 彼女の眉が、一瞬だけ歪んだ。対する俺は口を噤む。まさかこの女、食満留三郎に想いを寄せているのだろうか。の表情の変化を垣間見ようと顔を見つめてみるが、先ほどの一瞬の変化だけでもうの表情は一寸も変わることはない。ちらりと視線が俺を刺す。思わず目を逸らした。 「…私が、なにか」 少しばかり、先ほどまでの声より表情のある声色だった。驚いてもう一度視線を彼女に戻す。は変わらず、俺の口元に使うのだろう薬を用意していた。伏せられた睫が少しばかり顔に影を落としていて、こいつは無駄に見目がいいのだとこれまた無駄に思う。何も思考する暇も無く、俺は口を開いた。 「お前、食満に惚れているのか」 「――――、…はあ」 我ながらよくも直球に聞いたものだ。は動かしていた手元を止めてこちらへと顔を上げる。そこにあった顔は先ほどまでの固められた顔ではなく、今まで見たことがないほど目を丸くした、驚きの顔だった。そして俺は俺自身が言った言葉に動揺したのかは知らんがのその顔を見つめ返す。 「面白い冗談ですね、潮江先輩」 僅かな違いすらも見せずに、はその表情のまま俺の発言を冗談だと抜かした。どうやら本当に俺の言ったことを冗談だと受け取ったらしい。この女もこんな人間味のある表情をするのだと俺は思った。そしてそのまま数秒黙り込んだ俺は、何かを言おうとして口ごもる。 「あ、いや、その…だな」 「…」 瞳の奥に微かの色を残したまま、はまた口を閉ざした。俺の手当てに集中するためか、この話題から離れたかったのかは俺の知るところではない。俺も何かの話題を口にするでもなく、が薬を用意するのを胡座を掻いて待つことしかできなかった。息苦しい沈黙が保健室に満ちる。 「…潮江先輩は、どうお思いですか」 「あぁ?」 「私が、食満先輩に気があるとお考えですか?」 ようやく口を開いたかと思えば、はわけのわからないことを口にし始めた。俺がお前のことをどう思おうと勝手だろうと思うが、女とはこういう色恋沙汰が好きな生き物だったかもしれないとも思う。さて、どう返すか。そしていい切り返しを思いついて、しめたと思った。 「聞きたいのか、」 そう言えば、は困るだろうと踏んでの発言だった。面食らった彼女の反応が楽しみで口角が凶悪につり上がるのが分かる。 しかしそんな俺の思惑とは裏腹に、は、俺の見たことが無い柔らかさを持って、――微笑んだ。 「いいえ、潮江先輩を信じております」 それがどういう意味を持つのか理解する前に、彼女は俺の口元に手早く薬を塗りこんだ。それでは失礼します、と退室していく彼女の背中を追うこともできなかった。俺としたことがどうしたことか、あの女に何を言い返す暇もなく掌で転がされたのだ。 俺は利き手で口元を覆う。んな馬鹿な。 「…いてえな」 未だに彼女の指の感触が残る口元の傷を、指でなぞる。 |