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「……痛い」 「だから、悪かったっつってんだろ」 「誠意がない」 「……」 私は、ぶらぶらと右足を揺らす。左足は包帯でぐるぐる、左腕は動かせない。理由はこの状況でわかるように、いまこの瞬間も不器用に私の髪を洗う食満留三郎のせいである。百点満点、私は悪くない。 まあぶっちゃけて言うと食満が潮江とのいつもの喧嘩に現を抜かしているところに私が通りがかったら、食満が私に向かって吹っ飛んできた。いきなりのことに、実技の成績があんまりな私は咄嗟に避けるなんて芸当できるはずもなく、自分よりずっと大柄で重たい食満の下敷きになってしまった。食満の体重足す、加速分の重量足す、受身を取ろうとする食満の肘や膝の凶器さ。思い出すだけで涙目になりそうな痛みだった。 「ひぎゃっ!」 「てめえ!」 そのおかげであんまりダメージが無かったらしい食満はすぐに跳ね起き、私の存在に気がつかずに潮江に反撃しようと駆け寄ろうとする。 さてご質問、駆けようとすると脚に力を入れなきゃだめですよね。地面をしっかりと踏みしめないといけませんよね。私を下敷きにしていた食満は私に気づいてすらいないらしい(そんなに潮江と喧嘩がしたいのか、それともこいつは単細胞なのか)、さあ答えは単純明快。 「ひっ、――痛あぁっ!?」 「な!?」 「いた、痛い、痛い…痛、ばか! 食満の、ばか、痛っ…!」 私の腕を、食満の渾身の踏みつけで押し潰されたのだった。 そのお陰で午後の実技の授業は受けることも叶わず、善法寺に診てもらったところ「腕、内出血はしてないみたいだけどちょっと筋を痛めたかもしれない」「左足も捻挫してるから動かさないでね」。左方向から食満が突っ込んできたせいで左右非対称の怪我人の出来上がり、歩きにくいったらありゃしない。そして私は原因を睨んで、居心地悪そうにしている食満に言い放ってやった。 「あんた、私が治るまで世話係」 そして今に至る。 それにしても、世話といっても移動ぐらい手を貸してもらえればいいと思っていたのだ。不便なのは実技の授業に参加できないことと版書しづらいっていうことだ。だから別に、今のこの「手が上げられないから髪を洗ってもらう」状況だなんて本当は不要なのだ。ただのからかい半分だったのにな、と私は少しの罪悪感とともに溜息をつく。制服のままで風呂場に膝をついて私の髪を洗う食満は本当に単純だ。まるで悪女にでもなった気分。 「はあ!?」 「だから、風呂はどうしろっていうの」 「お前なあ…女がそういう…」 「そう、できないならいいの」 「……やってやろうじゃねえか」 「え」 できないならいいの、の一言が食満の自尊心やら何かに触れたらしい。まあ正直、片手じゃ洗い辛い髪をどうにか洗ってくれるというのだからありがたい話ではあるけれど、どうも風呂に入ってからが食満の挙動不審に拍車が掛かったみたいだ。私は別に裸でもいいし、今日は怪我人だからといって早めの風呂を楽しんでいる、ちょっと嬉しい初めての一番風呂だ。空気が湯気に紛れて入ってきて、たまに吹く風にかき混ぜられて温度を変えていく。 「…」 「流すぞ。目え、瞑れ」 「はいはい…」 かこん、と風呂桶が床に当たる音が心地いい。それから、私の指とは大違いの節くれだった指が優しく私の耳を包んで、ざばんと湯を掛ける。外気に冷やされた肌に湯が傷むようにぴりぴりして、思わず身を縮める。ずきり、痛む腕を押さえると、食満が湯で流された私の髪をゆるゆると解している手が止まる。それから、するりと絡みつくように髪から耳へ、それから、頬へと指が這う。 「悪かった」 「気にしてないって、別に本気で怒ってるわけじゃ」 「足、痛いか? 腕、…痛い、か?」 「痛くないわけじゃないけど、食満…」 あんたがそんな顔する必要、どこにもないのに。 私はそっと指を、動ける腕で包み込んでみる。大きな、手だ。 「……」 「な、……熱っ、あつ」 熱い。上から被せられた湯も熱いけれど、その湯に被せられたような口付けが、湯の中であるにも関わらず熱くて驚いて、身を引こうとするのを食満の手で背中を支えられ、逃げられない。ぼたぼたと顎から、髪から、雫が垂れる。それは桶の湯が切れるとともに離れていく、まるで幻だったかのようなその口付けに、湯の中でも瞳を閉じずに目の前の食満に視線が釘付けにされる。なんて熱っぽい視線、それは湯気が立ち込める場所だからなのかそれとも、分からない、分から、ない。 「、もう一回…」 「……ばか」 お湯と、石鹸と、湯気のせいでにごった視界のせいだ。もう一度迫る食満の唇を甘受しながら、私はこの熱い熱い空気の中、お湯の注がれる中で沈んでいく思考は、もうそのまま放っておこう。どうせもう、拾い上げる気力も残ってない。 |