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「やあ」 いつもと違う笑顔を貼り付けて、作った声色で見慣れた背中に話しかける。なんの躊躇いもなく彼女は振り返り、僕の顔を見てふっと微笑んだ。 「何よ、三郎」 「いやー暇だから、構って?」 「聞き飽きたわ、さすがに別の台詞考えて来たらどうなの?」 そういいつつ、彼女は頬にばらりと落ちてきた髪の毛を鬱陶しそうに払い、僕の目の前で立ち止まった。その顔は拒絶ではなく話し相手にはなってあげるわよと、まあそこらへんの表情で、僕は安堵の溜息を心の中で吐く。ああよかった、とりあえずは、ばれてないみたいだ、と。 三郎、と呼ばれたけれどもお察しの通りに僕は雷蔵だ。目の前のくの一教室のちゃんとは図書室という接点しかないけれど、ふと見せる表情とか本を丁寧に扱うところとか、普段はつんとした感じなのに笑うと柔らかいところとか、とにかく気がついたら視線は彼女を中心に捉えていた。でも僕は上手い話術を持っているわけじゃないし、彼女の楽しんでくれそうな話なんて振れそうにない。 でも、三郎は違った。三郎は、ちゃんと同等に話すことができる。冗談交じりに楽しそうに廊下で話しているのも見かけたことがある。僕と三郎は同じ顔なのに、ああ僕もどうやったら三郎みたいに彼女にあんな自然体で笑いかけることができるのだろう。しかも三郎は僕と寸分たがわぬ格好をしているわけで、まるで鏡の向こうを見ているような光景に胸が痛むのももう慣れてきた頃だ。 「じゃあ、私に付き合えって?」 「及第点ね」 だったら僕も三郎になってみればいいじゃないか。 そう気づいたのは昨日の夜、思いついたらすぐに体が動いていた。いつもの迷い癖も、真っ直ぐに心を貫いた思いつきの前には回り道なんてできなかったようで全くの迷いなんてない。あるとすれば、いつこの悪戯がばれるか、ばれたらどうなるか――もしもここに三郎が通りがかったら? 色々あるけれど、僕は目の前の彼女のこの微笑だけで十分にご褒美を得ているから別にいい。 こうして話してみたかった。図書室で視線がたまに絡むだけであんなに充足感を得られていたというのに人間は貪欲で、彼女ともっと離したい、触れてみたい、なんてことまで考えてしまうのだ。 「…毎回、付き合わせてるのは私の方なのにね」 「え?」 「っ、ちょっと! いきなりは、反則よ、…ふ、不破くん…」 僕は目を見開いた。 まさか、もう? そうだ、彼女もくの一教室でくの一としての勉強を欠かさない一人のくのたまで、僕のこんな下手な芝居なんかとっくに見抜いていたのかもしれない。だとしたら、こんなことをしている僕は彼女にどう見られたことだろう。かっと耳元が赤くなって、それでも反射的に踵を返そうとしたときにつかまれた袖が邪魔をしてこの場から逃げることを許さない。 「何よ。…今日は、試験なんでしょう?」 「は?」 「言ったじゃない! この前、次は、ふ、…不破くんと話す練習の試験をするって…」 は? 僕の口は開きっぱなしだけれど、彼女はそんなこと気にしていないらしいからよかった。僕の顔からは三郎の仮面が既にばらばらに崩れ落ちているけれど、彼女にとってはそれもただの「三郎の芝居」の一部らしい。え、え? なんて、言った? ちゃんはなんで僕と話す練習、なんてしてるのさ。 「…ふ、不破くん、おはよう」 「………、…お、おはよう、ちゃん」 「今日も、い、いいっ、いい天気ね!」 「そ、そうだね!」 もう思いっきり「不破雷蔵」として話している。目の前に彼女がいる、僕に向かって話している、微かに瞳を潤ませて耳と頬を真っ赤に染めて、きゅうっと可愛らしく僕の袖を握って離さない。――でもこれの問題点は、彼女が僕を「鉢屋三郎」だと思って「不破雷蔵」に話しかけているところだ。どういうことだ? あまりのことにくらくらする思考をどうにか繋ぎとめながら、でも僕は目の前の彼女から視線を離そうともできない。 「ねえちゃん」 「な、なな、なに!?」 ふっと、心の中に、淡い悪戯心が芽吹いた。 三郎ならやりかねないこと、僕にはできないこと。でも僕はいま、三郎なんだから? 「そんなに顔を赤くして…僕のこと、好きなの?」 「ひ――!!!」 笑うように目を細めて彼女の真っ赤な耳元で囁いてみる。三郎ならするだろうこのくらい、いつも三郎が僕の顔で何かをやらかす度にそのお咎めが僕にも降りかかってくるのだ、これくらいのこと許されたっていいはずだ。 数秒間、真っ赤なまま黙ってしまったちゃんは目を潤ませて固まっているようだ。僕までその照れが侵食してきたように顔が熱くなってきてしまって、うわ、この沈黙をどうにかしなければ! えーと、えーと、嘘だよって? 嘘じゃない、知りたかったのは本当だ。でも三郎なら、三郎ならどうするだろう。人の考えなんて分からない、分からない。迷い癖を発揮する前に、三郎を頭の中に思い描いてみる。 …肩をぽんと叩いて冗談だよって、ああそれが一番かもしれない。それを行動に移す前に、ぐいっと僕の握られたままの袖が下へと引っ張られた。 「うわ!」 「…………きよ」 「え?」 聞こえなかった言葉を補完しようと視線を前に向ければ、目の前にちゃんの顔があった。僕は目を見張って彼女の瞳を食い入るように見つめてしまう。――どうして、「不破雷蔵」にそんな顔を、するんだい、ちゃん。 「好きって言ったの、不破くんが!」 「………、……」 「…っふ、不破くんには言わないでよ!? 私が、ちゃんと自分で伝えるんだから!」 それだけ言って、彼女は素早く僕の目の前、手の届く範囲からすり抜けるように逃げていってしまった。その間、僕が何をしていたかというと全く何もできなかったわけで、今の彼女の表情と唇の動き、声、――なんだって? 「ぼ、僕が好き…?」 ああ、さっきの彼女みたいに顔全体が熱い。どうしてくれるんだよ、治りそうにないじゃないか! |