それにしたって珍しいなあ、と私は口には出さずに、すぐ横を歩く同級生を見上げた。相変わらず何を考えているのかまったく分からない、それでもその顔の持ち主とは全く違う種の笑みを浮かべながら彼はどこか楽しそうだ。精巧に作られた皮は彼の唇まで完璧に表現していて、口付けなんてしても三郎くん自身にはなんの感触も伝わらないに違いない。

「なに考えてんの」
「へ」
「人の顔じろじろ見つめて、…私に見惚れてた?」
「ふ、雷蔵くんの顔なのに?」

 そりゃそうだ、と彼はちらりとこちらに向けた視線をまた進行方向へと戻した。勿体無い、だなんて感じてしまった自分を叱る。私と三郎くんはなんの関係もなくて、これはただの買い物なのだ。三郎くんは食堂でお茶を飲みながら先生と談笑していた私の腕をいきなり引き上げ、たった一言だけ、付き合えとだけ、それだけだ。理由もなしに人を誘うような計画性のない三郎くんではないと訳を尋ねれば、女装するのに必要な簪を見繕うのを手伝ってくれと言うのだ。女子の意見も大事なんだろうけど私はあまり簪は好まない。しゃらしゃらと動いて、すぐに壊してしまいそうで怖いのだ。しかし私も女なわけで、そういう煌びやかなものを見るのは好き。

「三郎くんは何色でも似合いそうだけど」
「そうか?」
「赤なんていいかも」

 五年生は制服が青だから、三郎くんのイメージも青に近い。だけれども私服の三郎くんには明るくてそれでもどこか色気のある赤色がよく似合うと思った。どこか底知れない三郎くんに鮮烈な赤はよく映えるだろうと思う。いま三郎くんが持っている薄い桃色は綺麗だけれど、逆に桃色が消されてしまいそう。この強烈な存在感に対応するのは椿のような赤かな、なんて自己満足に浸った。単に綺麗で好みだったからかもしれないけれども。

「…赤か」
「うん、綺麗だね」
「赤は持ってなかったし、ここはを立ててこれにするか」
「あはは、ありがとう」

 人が代金を支払うところはあまりじろじろ見てはいけないだろうと思って、私は先に店先で待っていることにした。ざわざわと人ごみに紛れていると、段々と自分の感覚がなくなっていくように思える。皆が皆、違う顔をしていて、違う声をしていて、違うことを考えている。そんな人間が何人も何十人も何千人も居て、こうして日本は出来ている。南蛮にだってそうやって人間がたくさん居て、争って自分が一番になろうとする。その中に組み込まれているのが私とか三郎くんとかなのだと思うと、こうして二人で出かけているという事実がどうしてもふわふわと取り留めの無い夢物語のような気にさえなってくるのだ。


「…あ、え、おかえり」
「疲れたか? 茶屋にでも入ろうか」
「いいよ、三郎くん、早く帰りたいんじゃ」
「私が入りたいから、お前はついでだよ。ついて来い」

 私が気にしないようにと、三郎くんは優しい。こうやって気づかないうちに優しく手を引いてくれて、だからこんな人ごみの中でも三郎くんを見失うことはない。暖かくて大きな手、優しくて私の大好きな手、私は三郎くんと繋ぐ手に少しだけ力を込めた。

「…美味そうに食べるよな、は」
「食い意地が張ってるって、思ってるでしょ、…美味しいんだもん」
「分かってるよ、があんまり美味しそうに食べるから」

 確かに美味い、と三郎くんも最後の一つを食べた櫛をぺろりと舐めた。三郎くんが何でも無いように入るから気に留めなかったけれど、ここはそこそこ有名な茶屋で学園でも美味しいと評判の店だった。美味しいけれど、なんで私をここに連れてきたのだろう。気後れするでもない三郎くんはここに来るのは初めてじゃなさそうだ、…誰と、来たのだろう。細かな気遣いができるようになったのは誰のおかげなのだろう。大人びた三郎くんの隣には綺麗な女の人が似合うに違いない。それはけして、私じゃないのだろうけれど。

「…、止まれ」
「え、は」
「動くなよ」

 いつの間にか俯いていた顔を上げると、すう、っと三郎くんの指が私の顔に近付いてきた。指の向こうに見える三郎くんの顔は真剣みを帯びていて、なにをされるのだろうかと一瞬身構える。それでも敵意は全く感じなかったから、じっと、彼のしようとしていることが終わるのを待つ。すると、なんてことない、彼の親指が私の口元をかすめて、いつも通りのにいっとした笑みを浮かべた三郎くんが噴出した。

「口元にあんこつけるなんて子どもらしいっつーか、……くくっ」
「え、うそ! もー、それなら、ちゃんと口で言ってくれれば」

 いいのに、という言葉は飲み込んだ。彼はその瞬間、指についていたあんこを何のためらいもなく舌で舐め取った。私の口元についていたということは私が食べようとしていたのに、これはもしかしてもしかしなくても、と私の顔は赤くなるばかりで、その反応に三郎くんはまた笑い出した。からかわれているのだ! 気づいてはいても顔のほてりがとれないので俯いていると、ふわっと髪の毛が解かれた。

「…え?」
「あ、悪い、髪紐解けた」
「え、ちょ、結いなおさなきゃ…」
「俺がやってやる」

 さっきの店で買ったのだろう、綺麗な櫛で三郎くんは手際よく私の髪を結い上げていく。首筋に指が触れるだけでどきどきして、こういうことが上手いところも手先が器用な証拠なんだよなあ、と、私は大人しく三郎くんの指を感じていた。変装なんて、ほんの少し皮をひっぱるだけで違う顔になってしまうから、全く同じ顔を作るには相当な技術が必要なのだ、だからこんな髪を結うだなんていうことは簡単極まりなくて、だから私がこんなにどきどきする必要はないのに、触れる指先が熱い。

「…終わった」
「あり、がとう」

 ああ、指先は本物の三郎くんなのだ。触れる指先がとても熱くて、それでも繋いだ手と同じくらい暖かくて、きっと唇よりずっと三郎くんらしい。この指で彼は千の世界を操って、この世界の誰にでもなれる。指は三郎くんの世界を開く鍵なのだ。この愛しい愛しい三郎くんと一番触れ合えるのは指なのだと思うと、その指で結われた私の髪がいつもよりずっと好きになれた気がした。



 学校に戻った私を見て、友人が鏡を見せてくれた。髪紐が出て行くときと違うなんていうのは、粋ね、なんて笑うのだ。ああもう本当に、三郎くんは私の気持ちを揺さぶるのが本当に上手いのだ。私はしばらく友人の前で真っ赤になり座り込んだ。