「…」

 きらきらしてる。私の瞳に映ってる加藤は、いつもきらきらしてて、近寄れない。だからこうして、窓から見てるだけで十分だって思ったのはいつだったかな。この窓際の、夕焼けが綺麗に見える席を引き当てたときからかな、それよりもっと前からだったかもしれない。でも最近は違って、もっと加藤と話したい、近づいてみたい、だなんて思うようになった私は本当に貪欲だ。こんな気持ち初めてで、どうしたらいいかわからない。相談なんてできっこないし、この胸の詰まるような奇妙痛みを抑えるにはどうすればいいの? お医者さんにかかるわけにもいかない、対処法もわからない。恋愛の先生が居たらいいのにな、そうしたらきっと、世界はもっと恋をして綺麗になる。

「はあ…」

 自分の席で一人、明日の英語の予習をする。単語を紙の辞書で引いては書き写し、そうしてからグラウンドを楽しそうに駆け回る加藤を見やる。グラウンドを見渡せるこの席は大当たりであり、私にとっての大切な場所だ。私だけの一人の、おもちゃの宝箱。大好きなものだけ詰め込んだ私だけに優しい空間で、誰にも入ってきて欲しくない。なのに加藤は特別で、踏み込んでほしいし踏み込みたい。恋愛っていうのは怖い、…加藤のお陰で私の英語の成績はちょっぴり上昇気味だ。いや、本当は全然、集中なんてできないんだけれども。
 カリ、シャーペンを止めて、陽の落ち始めたグラウンドを見やる。

「――遠い、なー…」

 同じクラスってことと、同じ中学だったっていうつながり、私と加藤との間にはそれだけしかない。きっとあんなきらきらした笑顔をしてる加藤には明るい子が似合うに違いない、アプローチだってしちゃったりする、可愛い子。私みたいに何も行動できずにふわふわと想いを持て余して時間を無駄にして、貴重な共有できる時間を見つめるだけの一方通行で終わらせようとしてる私とは、違う子。
 私に話しかけてくれる、それだけで嬉しいことなのに、好きな子は居るの? 好きなものは? 何一つ知らないのに臆病な私は、聞けないままのだめな悪循環を続けている。

 …私のこと、どう思ってる? なんて、間違っても聞けない。

「想像してたより、キッツいなあ…」

 片想いなんて、するものじゃない。恋愛小説、ドラマ、そんなもので片想いをした気分になって、恋愛なんてしってるよって顔をしてきたけれどきっとこれが本当の片想いだ。名前を見るだけで胸がぎゅうっとなって、笑ってるだけでどきどきして、話しかけてくれたら夜まで嬉しくて、顔が見られなかったら一日落ち込んでみたりして、一日一回加藤生活、恋愛ってこんなに難しいんだ。
 ぎゅうっと目を瞑って、私は英語のノートを下敷きに机に突っ伏した。ずきずき、ほらやっぱり、グラウンドじゃ足りないよって、会話をしたいよ直に触れたいよって心が叫ぶ。私の中にいつの間にか設置された加藤ゲージは全く満タンになる気配はない。こんなもの勝手に設置していって、加藤は、本当にばかだ。そのまま、思考を加藤から引き剥がして、何も感じないようにと、奥底に沈める。


「――い、おい…?」
「…」

 あれ、誰? 薄っすらと瞳を開いて、無意識にグラウンドへと視線をやる。そうしたら、もうほとんど陽なんて落ちててグラウンドには一人も人が、…居なくて、……はっ?

「え、嘘! なっ、え、やだ、今何時!?」
「そろそろ七時半だけど」
「うわあ、サッカー部練習終わっ」

 て、る。
 あれ、私、いま、誰と話してる?

「終わったけど」
「か、加藤っ――!」
「ん?」

 私が慌てふためいているのにも気づかないらしい加藤は、砂だらけでぼろぼろで汗だくで、…半袖のシャツから覗く二の腕が逞しくて中に着てるティーシャツが少し汗で湿ってるのか、シャツにぴっとりとくっついている。あちー、なんて呟いて無理やりに半袖の裾で汗を拭うところとか、加藤、部活があったならタオルくらい持ってきてるんじゃないの? 私は、震える声で加藤、と呼びかけた。

「これ」
「え」
「シャツは汚しちゃだめだよ、タオルで拭きなよ」

 ああもう! なんでもう少し可愛い言い方できないかなあ、どうして恥じらいとかそういうのが邪魔してちゃんとした綺麗な気持ちのまま伝えられないのかなあ。でも、…でも、このときのためにいつだってスクールバッグに入れておいたタオルが役に立った。本当に使われる日が来るなんて思ってもみなかったけど、とそっと加藤の顔を窺い見ると、張本人は瞳をぱちん、と音がするんじゃないかといわんばかりに瞬かせていた。

「…キレーなタオル、汚すよ?」
「タオルなんて汚すためにあるんでしょ、…いるのいらないの」
「じゃあ借りる、…わりーな汗臭いだろ?」
「部活帰りじゃ仕方ないんじゃない?」

 ああああ、本当に、自己嫌悪だ。なんて可愛くない受け答え、もっと笑ったりして加藤にお疲れの一言くらい言いたいんだけど、そうしたら別の言葉まで飛び出してきそうで怖い。心の中で収拾のつかない言葉が溢れかえって、どれが口から零れるか分かったものじゃない。

「タオル、洗って返すな。さんきゅ」
「いい、面倒だし…」
「俺がそうしたいんだって、な?」

 逆らえるわけがない。昔から、中学の頃から加藤の、「な?」には勝てたことがない。いつもその必殺技には、困った笑いに、無邪気な笑い、ちょっと意地悪な笑い、加藤の色んな笑顔が付属されている。私はいつもそれに負けて、心の中で泣き寝入りだ。こっちだけこれだけどきどきして、ずるいのに、なんにも言えなくなる。

「じゃあ、行きますか」
「…は? どこに」
「送ってってやるって、もう暗いし」
「い、いい! 遠慮しとく!」
「お前の家、近いだろ」
「だからって…!」

 加藤と帰れるチャンスだっていうのに、本当に私っていうのはばかだ。自覚してる分、悲しくて痛くてどうしようもないばかだって分かってる。チャンスを捨ててしまえるような鈍感さんになれたらいいのにな、目の前のこいつみたいな、本当のばかになれたらいいのになあ。
 そうして、加藤は少しだけ照れたような笑みを浮かべて、呟いた。


「俺がを送りたいんだって、――な?」


 勝てたためしがないっていうのに、無自覚でそういうことするのが、本当に、ずるい。