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「では、今日は海での自由行動を許可する」 その言葉を聞いて、前やら隣やら後ろやら、とにかく俺の周りがなんとなく浮ついたのがよく分かった。俺も嬉しくないってわけじゃないけど素直に喜ぶのはなんだか格好悪い気がして、ざわついた周りを横目で観察するだけに留めておいた。ざり、とビーサンのつま先で砂を踏む。あ、ちくしょ砂が入った、気持ちわりいなあもう。汗で湿ってた足の裏にべったりと張り付いて離れない砂っていうのはかなり面倒でいらいらして、足を振ってもなかなか取れない。自棄になって思いっきり足を振ったら、つま先で引っ掛けてたビーサンが前へ飛んでいった。飛んでいったらぶつかるっていうのがお約束、俺の砂だらけのビーサンは日焼けしてない足に突撃していった。 べしっ、…音が情けない。 「…痛いな」 「………、わ、悪い…」 「子どもじゃないんだからそんなに騒がないでよね」 さらりと髪を揺らして、兵太夫が俺に向かってぞんざいにビーサンを投げ返してきた。騒いでるわけじゃねえ、とはなんとなく言いづらくて、俺は黙ったままビーサンの砂を落とす。片足で立ってる状態はフラミンゴ、あーあなんか格好悪い。 ガガ、と山田先生の持った拡声器からノイズが発せられて、また低く唸る。 「海は危険でいっぱいだ! 準備運動を怠るな!」 「準備運動だってよ」 「……ラジオ体操でもするのか」 「マジかよ、俺第一の方忘れた」 「馬鹿」 こそこそ話は前の山田先生の長い前置きをビージーエムに続く。金吾にさっきのビーサンのことを突っ込まれて、思わず声を大きくしてしまった俺は同級生の面前で「団蔵! ちゃんと聞きなさい」なんて土井先生に怒られたりして、ああ格好悪すぎる。バツが悪くて身を縮み込ませていると、山田先生の咳払いが拡声器から飛び出してきた。これは、合図だ。 「では、最後に先生から注意を」 「はい」 その声に、反射的に前を向く。ハーフパンツに長袖の薄手の上着、それに帽子。こういう学校外に出かける行事のときは必ず健康不良者のために保険医が同伴することになっている。もちろん、今回の一年総出の臨海学校も例外ではなく、学校での事前指導のときからずっとずっと先生は再三同じことを注意している。 「海は本当に危険です、あと紫外線予防にも気をつけて」 これも言ってた、何回か同じことを繰り返すと分かる。この人、人前で話すのってあんまり得意なほうじゃないんだ。あと、緊張してるのか少しばかり視線が定まらない、ふわふわと俺らを見渡しているようにみえるけれど本当は何も見えちゃいないんだろう。国語のスピーチの時間の俺みたいだ、とかなんとか、親近感を持ってみたりして笑えてくる。他の先生たちが大人すぎるから、若い先生がどうしても俺らに近いように錯覚してしまう。 本当はものすごく遠くて遠くて、手も届かないのに、錯覚っていうのは恐ろしい。 「あと、もしも誰か溺れてしまったときは…」 「…」 「周りで誰か気づいて、先生を大声で呼びましょう」 海はちょっとしたことで危険な目に遭う、とは言っていたけれどもこれは初めての単語が出てきた。溺れたときの対処法、と考えてみて、まあ健全な男子高校生ですから、と自分の唇にそっと指を宛がう。がさがさして、全然色気もあったもんじゃない。というか皮がめくれて気持ち悪いし、たまにぴりっとして血が出るときもある。部活とかで外に居るのが多いやつは大抵こうだけど、先生は違う。こっから見ても分かるくらい綺麗で、血の色が透けてるんだって思えるくらいの桃色が、気温で少し上気した頬に似合う。 そういえば、色、白いなあ。 「…団蔵」 「…、…はっ?」 「解散だぞ、お前一人で何呆けてんだ」 これは重症だ、気温だけじゃなくマジで熱い耳とか、どうすればいいんだ。金吾に何かを言われる前に、俺はとりあえず顔でも洗って熱を引かせようと思って近くの水道までダッシュした。ざりざり、砂がビーサンと足の裏の間で擦れて熱い、煩わしい、だけどもそんなのに構う暇も無い。 なのにどうしてこうも裏目に出るんだ、俺の行動って。 「…加藤くん、砂でダッシュは部活のノルマ?」 「…い、……いえ」 「そう、…あ。砂落としに来たの」 「え」 「笹山くんにサンダルぶつけてた」 「あれは事故で」 あれ、なんでそんなこと知ってんだ。顎へと伝い落ちてくる汗を手の甲で拭いながら先生を見下ろすと、先生もこっちを見上げていた。動揺がバレないようにと、蛇口をひねることに集中しようとする。しばらく使われてないのか、堅いそれは俺の掌の中で音を立てて、…なんだかもげそうで怖かった。 「…、…」 「加藤くん」 「は」 返事をするのも許さないといわんばかりに、先生が俺のシャツを引っつかんで、顔を近づけてくる。するりと、さっきまで水を触っていたのだろう手が首元に伸びてきて、指の感触まで生々しくて心臓が飛び跳ねた。少しばかり湿った俺の首筋に、先生の小さい手が当てられて、とっくんとっくん、いつもより速い鼓動が読み取られる。 先生がつま先立ちになって、もっと距離が縮まる。 「な、――!」 「…うん、顔赤いけど熱は無い。脈も速いけど、日射病じゃないみたい」 「…………は」 「よかった、病人かと思った」 なんだ、とほっとするかわりに何かが消化不良で胸に沈殿する。それがなんだかもやもやしたものを心に発生させて、何かの化学反応でも起きてるんじゃないかと思ってみたりした、ばかみたいだ。 笑う先生の唇が、仄かに色づいているのに気づいて、更に胸に重たいものが落ちてきた。 「何かあったら早めに救護班まで来てね」 真っ赤な顔を隠すようにしていたせいで言えなかったけれど、小さく返事をして、俺は頑なに水を拒んでいた蛇口を捻る。ぎし、と音がしたあとに、きゅきゅっと音を立てて、零れ落ちる。 ぱたた、っと数滴落ちた後にはすぐにざあっと溢れて止まらないのを見て、きっともう手遅れだろうと確信した。 |