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目の前の土が、ほんの少しばかりの違和感というものを実際に私に押し付けにきていた。そよ風がふわりと私の後ろ髪を弄び、整えて結い上げた髪の中に空気を入れる。せっかく作法の授業の前だからときれいにしてきた甲斐が自然のせいでなくなったのならば、もうどれだけ動いて乱そうと私の知ったことではない。 私は四歩を普通に歩き、違和感を見下ろした。 「…私の目の前に、いつも居るのね」 違和感に話しかけると、空気がほんの少し張り詰めた。そういう反応は面白いと思う。ざり、足の指先で土をほんの少しだけ抉ると、空洞の感覚がした。右足の親指が、砂の感触でざらざらする。 「授業に遅れてしまうから、構っている暇は無いの」 ごめんなさいね、と付け加えてから、私はその違和感を飛び越えた。しかし、その丸い穴の縁ぎりぎりに爪先立ちをする形ですぐに着地する。まだ四年のくせに、なんて巧妙な罠を仕掛けるのだろう。この腕ならば就職には困らないのだろうと後輩を羨んでも、くの一教室に居る私と忍たまのあの子とは立場が違うのだから意味が無い。 違和感ひとつ分と同じだけの距離をもう一度飛び跳ねる。それから、友人から返ってきたばかりの掌大の手まりを、ぽとりと落とすと、思ったとおりに地面に大きな口が開いた。中に鈴を入れておいた手まりが数秒後にしゃらしゃらと鳴って、その時間差から深さを割り出す。これを掘るのにどれだけの時間を費やしたのだろう。本当にこれで授業についていけるのだろうかと思うが、ちゃんと成績に裏打ちされているその行動なのだと思うと注意をしようとする気もなくなる。 「出てきなさい、綾部」 「はい、先輩」 まるで私の言葉が前から決められていた合図だったかのように、するりと出てきた綾部は相変わらず無表情だ。無表情のくせに、目がぱっちりとしていて瞬きが少なく、正面から話をしようとすると視線が交わりすぎてどうしようもなくなる。私は肩に落ちてきた髪を軽く払ってから、お腹に力を入れる。 「私の行く先に、一人用の塹壕いわゆる蛸壺があるのだけれどもあなたと何か関係があるかしら」 「詳しい説明ありがとうございます、私は掘るたびに無駄打ちになってしまう蛸壺を改良できて嬉しいですよ」 「話がかみ合わないわね」 「会話できてることは確かです」 あれを嫌わないでやってくれと言われたのは昨日のことだったと思う。たまたま食堂で同じ机を使った作法委員長の立花が、視線も上げずにそう言ったのを、ゆっくりと聞き返したのだから間違いは無い。 「あれとは、あれのことかしら」 「それのことだ、悪いやつではないのだ」 煮物を口に運んで、舌で味わいながら咀嚼する。委員長の次に年長である「あれ」のことを、この分かりにくく冷静な同級生なりに可愛がっているのだなと察せられた。そう、と返して、熱い茶を啜りあげた。 悪いやつではない? 嫌わないで? 「綾部、あなたはどうして私を落としたがるの」 「先輩、好きです」 「そろそろ授業が始まるから簡潔に」 「好きだから、先輩がほしいです」 綾部と視線を合わせると、やはりその瞳には一点の曇りさえない。土で汚れた頬は白く、ふわふわとした髪が風に揺れると、それに隠されるような意外としっかりとした体つきが窺がえる。どんなにきれいな顔をしていても、この子は忍たまなのだ。しかもその可憐な唇で、私がほしいなどと抜かす。 「では、もう何も言いません」 「好きです先輩」 立花、私はあなたが思っているほどきれいに大人になりきれているわけではない。まだあなたと同い年の、ただの一人の女の子なのだ。くるりと振り返り、綾部の目をしっかりと見て唇を動かす。 ごめんなさい素直じゃないの、だから噛み合わない返事でごめんなさいね。 「もしも私が落ちたら話しましょう」 次の穴には素直に落ちてあげるから。 |