「い、いい? 滝、私の言ったことがちゃんと理解できてるんでしょうね」
「分かっている、この私に頼むところがお前の視力の正常さを物語っている! そうこの私に頼んだ時点で、お前の勝利は決まったも同然だと思っているがいい! ところでなぜこの私がこんな狭くて苦しくて埃っぽい場所に押しやられているのだ」
「黙って」

 ぎゅう、私は隣で笑いながら雰囲気として薔薇でも飛ばしていそうな幼馴染を壁に押し付けるようにして黙らせる。ちょ、、お前はなんということを! だなんて黙る気配の一向にないところはさすが私の幼馴染、ちょっとやそっとで黙ってくれるような性格じゃないのは私が一番よく知っている、小学校から一緒なのだ幼馴染というか腐れ縁に近い。異性である二人がこんなにも長い時間一緒に居て、恋に発展しなかったのはお互いがお互いのことを大事に思っていたからだ、そのくらい分かっている。滝が薄情だとかそういうのでもなく、私に見る目がないだとかそういう問題ではないのだ。私は滝が大好きだ、家族レベルの愛を贈ろうとも思う。だが、そう、家族レベルなのだ。
 家族相手には、こんなにどきどきしない。家族相手には、見ただけで動悸がしたり挙動不審になったり、言いたくも無い憎まれ口を叩いてみたりなんか、しない。ぎゅ、無意識に握っていた滝のシャツに皺が走る。

「…喜八郎を選ぶところも、見る目がある」
「……熱でもあるの、滝」
「別に、だが…クラスも違うのによくあいつに惚れたな」
「…うるさい」

 私と綾部の接点は、滝しかない。教科書を忘れたと言って滝のところに行ったのがきっかけで、体育でグラウンドに散らばっているところを眺めるようになって、気になり始めたら止まらなくて掘り下げて掘り下げて辿り付いたのは私の心の奥底だった。最初は、あの癖の強い幼馴染と一緒に居るなんて珍しい人も居るんだなとそのくらいだったはずなのに、侵食は早くてあっという間に私の心臓は綾部のように、綺麗だけれど得体の知れないものでぐるぐるにされて、いつもいつも息苦しい。いつも私が滝の教室に行くと、滝の近くで携帯をいじってる。大きくて澄んだ瞳に液晶の画面が映って、私になんか全く興味も示さないあの態度が鍵のようで、ぐるぐる巻きの蔦に一瞬で棘が生えて、鉄条網のようなそれは私の心にギリギリと食い込んで血が止まらない。痛くて苦しいのに、視界に居るというそれだけで甘い幸福も与えられる。鎮痛剤と新しい痛みを同時に与えられている気分だった。

「とにかく、お前…ちゃんと振り向けるか」
「ふ、……振り向いてみせるに決まってるでしょう」
「…カメラの心配はするな、私に任せておけ」

 滝の綺麗な掌が、私の頭を撫でる。滝はいつの間にやら同じくらいだった私の背丈を追い越して肩幅も広くなって、…ちょっと女の子にモテるようになった。ずっと一緒だった兄弟が離れていく感じってああいう感覚なんだと思う。ちょっと寂しくて、でもこっちから近づくなんて癪で、それでもどうにかして気づいてほしい。そんなときに、綾部と会った。

「…さん、でしょ?」
「え」
「知ってるよ」

 クラスも違うのに、偶然、自販機の前で悩んでいたら背後に立たれていた。私はどうにも気恥ずかしくて、本当は名前だって知っているのに「滝のお友達くん」としか呼べなかったというのに、綾部はそんなことどうでもいいよといわんばかりに私の名前を呼んでくれた。それだけで、綾部に対する視線が興味本位のものから色を変えた。
 飲み物は変わったものか水が好き、携帯をいつもいじってる、成績はそれなりに優秀でぼうっとしている外見からは想像できないくらい体育では俊敏に立ち振る舞ってみせる。細身なのに、滝と同じくらい背があって、線が細そうなのに意外と力がある。たまに微かに、笑う。

「…!」
「行け、

 こそっと滝が囁いて、優しく髪を整えてくれてから、背中を押してくれた。廊下の先には綾部が、また携帯をいじりながら歩いている。カチカチと早いリズムで文字を打ち込んでいるようで、メールか何かを作成しているのだろうか。人気がないのが幸いしているのか、綾部は前を向かない。とりあえず好機だチャンスだ今しかない! 私は何も無かったかのように平然とポーカーフェイス、上靴でリノリウムを叩く。無駄に音を立てないようになんて気配りは邪魔でイレギュラーだ、今の私はただ、綾部の隣を通り抜ければいい、それだけだ。

 あと、三歩で隣り合う。プラス一歩を踏んだら、振り返る、そうしたら滝がシャッターを切ってくれるはずだ。そうしたら私のこのぐるぐる巻きの蔦だって切り落とされるはずで、ほんの少しでも緩んでくれるはずだ。
 かつん。さあ今だ。

 振りかえろうとステップを踏んだ瞬間、かしょん、と音を立てて綾部の手の中の携帯が回転した。それに気づいて反応してしまう前に、綾部の手の中のそれがぱっと光って、ぴろ、緊迫した私の空気に似つかわしくない音が廊下に響いた。


「――おやまあ、振り返ってくれるなんて」
「……、…………な…」
「上手く写ってる、凄いタイミング」
「な、綾部、今の」

 廊下の向こう側で、滝が間抜け面をしている。なのにどうして、そんなに安堵した顔をしてるんだ。上手く撮れたとの合図なのか、親指と人差し指で丸を作って、ささっと廊下の角へと消えた幼馴染を見送る。…え、ちょ、待って滝! 置いてけぼりにしないで、そんな気持ちが口から飛び出しそうになった瞬間、私の腕を熱い掌で掴まれた。
 その熱さで私が驚くと同時に、その手の持ち主である綾部が、目の前に居る。ぱち、思わず言葉を飲み込んでしまったから沈黙を破るように瞬くと、綾部の唇が動く。

「大成功」

 遠目で見るしかなかったあの微かな笑みを浮かべた綺麗な綾部が、私の目の前で、耳の端を赤くしていた。