鍋セットとチョコレート


 深々と冷える冬の空気も、今この時だけは別世界のものだった。

 炎の揺れる気配と野菜の煮える匂い、肉の脂が溶けた汁がたまらなく胃の腑を刺激する。とうとう耐えきれなくなった小平太が湯気に顔を突っ込んだ。行儀が悪いと伊作に叱られても、鍋の旨味を凝縮した湯気に頬を濡らしてにまにま笑っている。

「しかし、いい肉だな。、お前どこからこれを?」

 鍋の仕上がりを待って座している仙蔵が、肘を突きながらを目だけで見上げる。彼は率先して鍋の出来に手を貸さず、要所要所で的確な指示を出していた。実行部隊は留三郎と長次だ。文次郎はじゃんけんに負け、食器や調味料などをすべてかき集めてくる重要任務を終えたばかり。

「昔から世話になっている人から頂いた」

「ほう」

「お鍋までつけてくれていい人だよね、いやこの大きさでこの強度。いい土鍋だよ」

「文次郎、目止めに抜かりはないだろうな?」

「あるか。完璧に乾かしてから粥を焚いたからな」

「そういや、その粥は? ないのか?」

「ないぞ。粥の匂いにつられてやって来たしんべヱが全部食べた」

「ちぇ」

 空腹に負けかけている小平太が湯気でつやつやになった頬を揉みさすりながら、優しく胃を温めてくれただろう粥を思ってため息を吐いた。この大きさの土鍋の目止めに使うとなるとそこそこの量があったろうに、かの一年生であれば茶を飲み干すように平らげてしまったのだろう。満足げに目を細めて腹をさする光景が目に浮かんで口の端が緩む。

 鍋の番をしていた長次がこちらに視線をくれる。出来上がり、だそうだ。覗き込んだ先でくつくつ煮えている野菜はどれも均等に切られていて、鍋の中にきちんと正しく配置されている。切ったのは留三郎だ。やはり書庫や用具倉庫の整理に慣れていると具材の整理も得意なのだろうか。

「お、出来た?」

「美味そうだな」

 小平太と仙蔵も鍋を覗き込み、頬を緩ませた。食べ盛りの男が七人、膝を突き合わせて鍋を囲んでいる。ひと言開戦の合図がかかればそこは戦場、土鍋の底をさらうまで隣の友は敵となる。皆にお椀を渡す伊作が最後に体勢を整えたのを見守って、そっと手を合わせた。

「――いただきます」

 静かに、戦いの火蓋が切って落とされた。

「満足だな!」

 最初に脱落した仙蔵に遅れること半刻、最後の最後まで笑顔を絶やさずに鍋を突いていた小平太が膨れた腹を叩きながら床に転がった。瑞々しい野菜、脂の乗った肉、食堂から拝借してきた葱と豆腐。冬の贅沢を味わい尽くしたひと時だった。体の芯から温まった実感に身を浸していると、席を外していた伊作がひょっこりと扉から顔を覗かせた。

「あ、片付いたね。、これから締めの雑炊でもしようかと思ってたけど」

「雑炊! やろう!」

「やめとく……わけないか。まだ食べるのか、小平太」

「俺もまだ食える」

「俺も」

「張り合ってくるな」

「何を!」

「やるか!」

「やらいでか!」

「外でやれ」

 食べたばかりだというのに暴れまわる文次郎と留三郎を呆れ顔で見る仙蔵は、諍いを避けての側に寄ってきた。伊作と長次はこれから雑炊を作ってくれるらしい。小平太は「満足」を早々に撤回して、ふわふわの卵に包まれた旨味の煮詰まった雑炊を待っている。

「すっかり頂いてしまったが、よかったのか? お前宛だったろう」

「いい。元より俺一人で食べる量じゃない、皆で食えということだろう」

 ふうん、と息だけで返事をした仙蔵には気付かれているのかもしれない。土鍋と材料に目を奪われていた全員に見つからぬように隠した、小さな包みがもう一つあったこと。

 添え文と共に届けられた細やかな甘味。これだけは誰にも言わず、密かに楽しんだとしてもバチは当たるまい。この穏やかで暖かい時間をくれたかの人に感謝しながら、返礼の品をどうしようか、なんて思考を巡らせはじめていた。