上達への道の段


 燦々と太陽が頭上で照り輝く時間。一生懸命に教鞭を振るう担任の子守歌ですっかり寝入っていた乱太郎・きり丸・しんべヱはめいっぱい体を伸ばして、まとわりついていた眠気を吹き飛ばした。今日は午後の授業も終わり、あとは陽が落ちるまで遊ぶだけだ。

「今日は何してあそぶ?」

「そうだなー……いい天気だしなあ」

「迷っちゃうねえ! ……はっ」

 あてもなく学園内を歩きまわっていた三人だったが、急にしんべヱがぴたりと立ち止まった。「お?」きり丸が足を止め、すぐに乱太郎も振り返る。

「どうしたの、しんべヱ」

「すごくおいしそうなご飯の匂いがする……!」

「は? もう昼食の時間でもないし、夕食には早いし……って、おい!」

「しんべヱどこ行くんだよぉ!」

 これが実技の授業だったら、成績は文句なしの甲だったろう。いつもは重そうにしている体で身軽に駆け出した友人を追いかけ、乱太郎ときり丸も走り出した。

 ぜえはあ。は組で一番の俊足を誇る乱太郎も肩を上下に揺らしながら、ぺたりと壁に手を付けた。いつの間に建物の中に入ったのか記憶があいまいだが、それでも食べ物のことになると手におえないしんべヱを見失わなかったのはさすがである。息を整えているうちにきり丸も追いついて、ぐったりと室内を覗き込んだ。

「しょ、食堂……っ?」

「おーいしんべヱ! 居るのかー?」

 さすがに食事をしている生徒は誰もいない。中に一歩入り込むと、ふわりと何かの匂いが乱太郎の鼻筋を撫でた。毎日嗅いでいる、甘いような空腹をくすぐるような――「乱太郎! こっちこっち!」意識の右側から飛んできた声に、慌てて視線を曲げる。いつもはおばちゃんの居る厨房部屋で、しんべヱがにこにこして手招きしていた。

「もーどうしたんだよ、いきなり走りだすなん……」

 それに誘われるがままに厨房に足を踏み入れ、柱の陰になっていたところへ視線をやる。

「……」

「ひえ!」

 ぎらりと見下ろす三白眼が油断していた乱太郎を貫いた。無表情のまま無言で、さらに上級生特有の気配の薄さのため一瞬「おばけ!」と叫びそうになったのをむりやり気力で飲み込む。落ち着いてよくよく見れば深緑の装束は見慣れたものだし、彼の顔にも見覚えがあった。

「ろ、ろろろ六年い組の先輩!!」

「……」

「乱太郎、しんべヱ? どーしたん……うわあああ!? って先輩じゃないすか、こんちはー」

「……あ、ああ。こんにちは」

 一年は組のよい子たち特有の起伏に富んだ反応にあからさまに戸惑って、六年い組のは軽く頭を下げた。それから厨房に転がり込んできた一年生三人を見下ろして、困ったように溜息をひとつ。

「どうしたんすか? こんな時間にこんな場所で、そんなカッコして」

「……自主練をな」

「割烹着でですか?」

「ああ……」

 六年生の深緑の制服の上に飾り気のない白い割烹着を身に着け、はまた溜息をついて椅子に腰かけた。

「何かあったんですか?」

 深刻そうな溜息に、乱太郎が心配そうに切り出した。その純真な瞳を受け、ちらりと視線を逸らしながら、「実はな」、と静かに続ける。

「……この前、い組の実習で学外に出た時に、食事当番に当たってな」

「ああ、そういえば。団蔵が、久々に委員会がなくて部屋で眠れるーって喜んでたっけ」

「俺は、料理が……その、苦手で」

「あー先輩なんか不器用そうですもんね」

「きりちゃん!」

 いっそ清々しいくらいの素直さにはただ苦笑した。まさに返す言葉もない。

「せめておにぎりだけは握れるようになれと、文次郎に叱られたんだ」

「なるほど。それでご飯と向き合ってるわけですね」

「これですね!」

 しんべヱの丸い小さな手が桶の蓋を開ける。すると、ふわんと真っ白な湯気とご飯の甘い匂いが広がった。米粒のひとつひとつが立ち上がり、つやつやと炊きあがったそれは光を浴びて輝くように見える。おお、と思わず三人から声が漏れた。

「すっげー綺麗に炊けてるじゃないすか」

「……教本通りの手順と時間でやったからな」

 の指差す先には、何冊もの本が積み重なっていた。『おいしいごはんの作り方』、『ほかほかご飯のひみつ』、『料理のいろは』、『米の歴史』――乱太郎が一冊を手に取り開いてみると、ところどころにしおりが挟まれ、よく勉強されたことがわかる。

「でも先輩、これ関係ないの混じってませんかぁ?」

「途中から訳がわからなくなってきてな……」

「でも、炊くところまではできたんでしょう? あとは握っちゃうだけじゃないですか!」

 乱太郎の眩しい笑顔でそう言われ、は曖昧に頷いた。それを見たきり丸は八重歯を覗かせ、視線を逃がす彼を覗き込むようにして、いたずらっ子のような笑みを浮かべる。

「もしかして先輩、おにぎり握れないんすかぁ?」

「……う」

「大丈夫ですよ先輩! ぼくもにぎれません!」

「え、で、でも! 本に載ってないんですか?」

 教本の中から一冊を取り、紙をめくりながら、おにぎりの握り方を探す。まずは最初から、「まずは水を確保するところから――」表紙を見る。『やさしい田んぼの作り方』。乱太郎は黙って本を閉じると、気を取り直すように本の山にそれを重ねた。

「……実践あるのみ、と書いてあるばかりだったが」

 うなだれたが指差した皿の上には、崩れた米のかたまりがさびしげに乗っていた。これはさすがにおにぎりとは呼べない。食堂のおばちゃんが居ればよかったものの、彼女は外出していると聞いた。成長を見せろと言われたものの、これでは今日中におにぎりになるかわからない。

「じゃあもっと実践しましょうよ、私らも手伝いますし!」

「え?」

 当たり前のような声色に、は思わず間の抜けた声を上げてしまった。

「あっ、じゃあ俺ら手を洗わなきゃな。先輩、これバイト代出ます?」

「あ、ああ……」

先輩! 失敗してもぼくが食べますから安心してくださいねぇ!」

「……た、たのむ」

 状況把握の間に合っていないを置き去りに、よい子三人はしっかりと石鹸を使って手洗いを始める。楽しそうに歌まで口ずさみながら泡立つ手を擦る彼らを眺めて、は無意識の内に目元を緩めた。

 腕組みをしたまま椅子に座っている男の隈は相変わらず濃い。忍術学園一忍者していると名高い潮江文次郎は、寝不足のせいでぎらついた目でを睨みつけた。下級生ならば肩の一つでも震わせそうな迫力だったが、六年目の付き合いにもなれば日常茶飯事のそれにもはや反応もしない。

「文次郎」

「おう」

 盆に載っていた皿と湯呑を同級生の目の前に置いて、は覚悟を決めたように顎を引いた。更に鎮座していたのは白くて三角の、どう見てもおにぎりだ。

「ほう、見た目はマシになったな。べたべたでぼろぼろから進化はしたか」

「食べてみてくれ」

 それを聞くか聞かないか、潮江はばくりとそれに噛みついた。しばらく咀嚼して、二口三口と齧る。やがてあっという間にそれを平らげ、ずずずと熱い茶を啜りあげると、彼はまた黙って腕組みの体勢に戻った。厨房の柱の影から見守る乱太郎・きり丸・しんべヱも固唾を飲んで見守る。

「……

「なんだ」

「まあ……及第点だな」

「やったー!」

 潮江のその言葉を聞いて、隠れきれていなかった三人の身体が飛び出してくる。次々に飛びついてくる後輩を、は慌てて受け止める。

「やりましたね先輩!」

「頑張った甲斐あったじゃないすか! お駄賃弾んでくださいよ」

「ぼくはたくさんおにぎり食べられたから満足です!」

「……ありがとうな、三人とも」

 そっと小さな頭を撫でて、は照れたように口の端をあげた。不器用な先輩のあまり上手でないそれを見てまた嬉しそうに笑った三人は、晴れ晴れとした顔で首を振る。



 そんな級友の肩を掴み、潮江も笑った。

「次はみそしるだな」

「…………、……」

「え!?」