続き物の本を順番通りに並び替え、背表紙の位置を合わせる。ぴしりと綺麗に整頓された本棚を見ていると気分がよくなってきて、雷蔵は目じりを下げた。腕の中にはまだ数冊の返却本がある。単調な作業だが気の長い雷蔵には苦ではない。早く片付けてしまって、あとは貸出し希望の生徒が来るまでゆっくり本でも読んでおこう。そういえばこの前、新刊本が入ったって中在家先輩が言っていた気がする。ああでも読みかけの本があったような気がする、あれはどこにやったっけ、なんてとりとめのない思考を回していたとき、ふっと意識の端に微かな気配が引っ掛かった。
「……?」
あまり静かなものだから誰も居ないのかと思っていた雷蔵は少し目を丸くした。確かに誰が利用していてもおかしくない時間帯ではある。しかし、ぼんやりしていたとはいえ五年生である雷蔵が先ほどまで気づかなかったということは六年生か教員か。これで四年生だったら先輩としてどうすれば、と落ち込み半分の迷い癖が発動しかけた時、「……不破?」すぐ近くの棚の間から、落ち着いた声が聞こえた。顔を上げると、自分より少し高い位置にある無表情が少し心配そうだった。
「あ、先輩でしたか」
「……ああ。悪いな、邪魔をして」
「いえ! 先輩は、課題ですか?」
ちらり、とが出てきた棚の間を見る。ここは確か五車の術や変装術の本が並んでいたはずだ。
「……そんなところだ」
「大変ですね、僕もがんばらないと」
「……」
「先輩?」
急に黙り込んでしまったを見上げ、雷蔵は困ったように眉を下げた。対するはぐっと唇を噛みしめ、鋭い目を思いつめたように細めると、がしりと藍色の制服の肩を掴んだ。
「わ!」
「不破……手を、貸してほしい」
「え? あ、はあ、手ならいいですけど本があるので」
「……そうじゃない、力を借りたいんだ」
え、なんて気の抜けた声が出たが、目の前の六年生は案外真剣な顔をしていた。冗談を言うような人でもない。雷蔵もまたぐっと表情を引き締めて、訳がわからないものの強く頷いた。
手ぶらになった不破は狭い棚の間に引きずり込まれ、二人で向かい合って腰を落とした。密談するような格好になって、そういえばお互いに膝を突き合わせて話したことなんてほとんどなかったなと思い出した。静かにが口を開く。
「不破は……人当たりがいいよな」
「そ、そうですか? 僕なんて迷ってばっかりで」
「いや……よく乱太郎やきり丸から話を聞く。優しくて頼れると」
「え、えーと……」
何だか恥ずかしくて、雷蔵は肩を竦めて笑った。自分の居ない場所でのいい評価を聞かされるのはもちろん嬉しいが、どうにもくすぐったい。少し熱い耳を意識しないように視線をさまよわせての次の言葉を待つが、数秒経っても沈黙だった。おそるおそる顔を上げると、まじめな顔をした彼と目が合う。
「不破」
「は、はい!」
「どうすれば人当たりはよくなるんだ」
「はい……、…………えっ?」
勢いで頷いたものの、うまく理解できずに聞き返してしまった。いや、だって、その。脳内で言い訳をしようとするが、目の前のは至って真顔である。
「変装した時、商人になるなら人当たりがよくないと無理だろう」
「そ、そうですね。口が上手でないと大変でしょうし」
「……それに」
は言葉を途切らせ、いきなり雷蔵の顔に手を伸ばした。そのまま耳たぶから顎にかけてなぞると、ぐいと頬を引っ張る。
「いっ!?」
「……悪い。鉢屋でないか確認をな」
「あ、あはは……」
比較的優しい力加減だったことに内心感謝しながら、雷蔵は頬をさすった。顔を借りられていると人違い・勘違いも多い。それで何度か鉢屋のとばっちりを受けたこともあったが、実は逆もあることはあまり知られていない。
「あの鉢屋が近くに居る不破だから、変装に関して目も養われてるだろう」
「うーん、確かに三郎の色んな変装は間近で見てますけど……」
「少し指摘してくれるだけでいいんだ」
ぐっと身を乗り出してくるの目は少し赤くなっていて、寝不足気味なのが窺える。これでは彼の同級生のように隈ができ、さらに下級生から遠巻きにされてしまうのではないだろうか。いつもより饒舌なのも睡眠が足りていないせいかもしれない。よっぽど切羽詰まっているのだなと雷蔵にも察せられて、黙って頷くと、ほっと彼の肩の力が抜けたように見えた。
「笑顔、か」
「笑顔です」
は、さきほど雷蔵の頬をつねった手で、今度は彼自身の頬をつねった。表情筋を動かすつもりで指で上へ引き上げるが、妙な力が入っているのか引きつったように見えて逆効果である。まるで図書委員会の委員長のような笑顔に苦笑して、雷蔵はにっこりと笑ってみせた。
「余計な力はいらないんですよ、気楽に気楽に。ほら」
「……」
眉間にしわを寄せた顔で、じいっと見つめられる。非常にやりにくい。それでも下級生にするような笑顔を浮かべ、「どうです?」と聞いてみる。彼は少し悲しそうに眉を下げた。
「……本当に悪いな、不破」
「いえいえ、困ったときはお互い様です」
「……」
また頬を引き上げるのに悪戦苦闘しはじめたに向けてお手本の笑顔を向けながら、雷蔵は図書委員の習慣として本棚へと視線を走らせていた。違う種類の本が混ざり込んでいないか、順番通りに並んでいるか、本は崩れていないか。そんな風に背表紙を追っていると、ふと、見つけた文字に思考が定まった。
「先輩!」
「な、……なんだ」
「もういっそ、最初から人当たりがいい人になればいいんじゃないですか?」
「……は?」
雷蔵のいろいろを省いた提案には首を傾げたが、彼が手にした本の表題を見て合点がいったように目を丸くした。少し日に焼けた『変装の極意』の表紙を開き、不破は目次の一節を指差す。
――まずは身近な人間の観察から。
「人当たりのいい人の顔をお借りしちゃいましょうよ」
どことなく不安そうに頬をさする目の前の六年生は、じっくりと眺めなければ変装であると気付けない程度の変装をしてきた。さすが最上級生、と思いながらも、やはり変装の達人・千の顔を持つ男を友人に持つだけあって粗が見えてくるのも確かである。ああ、でも相手は先輩だしあまり口を出して機嫌を損ねてしまうのではないか? しかし、逆に見て見ぬふりをするのも失礼だし、それじゃあしっかり口に出すのがいいのか。袋小路に入りかけた雷蔵に、はぼそりと呟いた。
「……指摘してくれると助かる」
「え、えーと。じゃあ、まずは言葉づかいから……」
「……、わかったよ」
咳払いをひとつすると、声色が変わる。次は、と言わんばかりの視線が雷蔵に刺さる。は技術に対して貪欲だった。
「あと、口元引き締めすぎかなと」
「……落ち着かないな。慣れるしかなさそうだけど」
「あはは」
二言三言、会話を交わすたびに違和感が剥がれていく。自分と彼とを擦り合わせるのが上手いのは、六年生の貫禄か、それとも六年目の付き合いのせいか。
「あとは、ここで話しているよりは実践あるのみだと思いますよ」
「……」
同意だったのか、はゆっくりと頷くと、少し緊張したように立ち上がった。雷蔵もそれを追い、図書室の入口までついていく。戸に手をかけて、はちらりと雷蔵に振り向いた。その少し細められた目が柔らかく見えたのは、変装のせいだったかもしれない。
「ありがとう」
そう言って、静かに廊下へ出て行った深緑を見送って、雷蔵は一つ息を吐いた。また静かになった図書室で、誰か利用者を待とう。そういえば読む本を決めていなかった、どっちにしようか。あえて今までとは別の本にしてみるのもいいかもしれない、いやでも……。
「あれ、不破先輩。こんなとこで突っ立ってどうしたんすか?」
「うわ! き、きり丸かあ」
「……? そろそろ交代の時間っすよ」
そんなに話し込んでしまっていたのか、と驚いていると、つんと小さな手に裾を引かれる。
「ねえ、不破先輩」
「どうしたんだい?」
手招きされて、そっと腰をかがめて耳を寄せると、きり丸がためらいがちに囁く。
「今さっき、険しい顔した善法寺先輩とすれ違ったんですけど……何かあったんすか?」
さて、どうやって誤魔化そうか。雷蔵は困ったように笑った。