「大体、こーいうのは全員強制参加じゃなくて似合うやつだけで」
「そうだな、適材適所でやるべきだ」
「その通りですよ! 全く、ほんとに必要性が感じられないですよ」
「同感だ。……竹谷、お前も苦労してきたんだな」
「先輩こそ」
こっそり、俺は目の前の先輩と顔をつき合わせて笑った。そうするといつもは怖いぎらぎらとした獣のような瞳も柔和になって細められ、彼の雰囲気もまた比例するように暖かなものになる。、彼という先輩はなかなか外見で色んな損をしてきたのだろうと俺でなくとも苦労を思わせるような人だった。俺もあんまりいい印象を持ってなかったほうだけど、委員会で一緒に過ごすたびにいいところ、優しいところを一つずつ拾い集めるように見つけていくと、ああこの人、全然怖くねえや、と思ってしまうのだ。
そして今は消灯時間ギリギリ。人気のない廊下の片隅で男二人で何をしているのかといえば、残念ながら夜の定番の男のお話ではない(というかこの人にそういう話ができるのだろうか)。
「明日か……」
「女装の授業なんて廃止すればいいのに……」
はあ。同じ溜息が、少しだけ白濁して空気中に消えた。
俺たちの憂鬱の原因、それは一つ、明日行われる五年・六年合同の女装の校外授業だ。
もちろん俺は兵助のようにまつげを自前で補えるほど目元が魅力的なわけでもない。雷蔵のように、髪の毛と同じくらいふわふわした雰囲気や優しい笑顔だなんて持ち合わせてもいない。三郎に至ってはもはや本物、脱ぎさえしなければバレもしない変装の達人様ときた。それに引き換え俺は、…女らしい立ち居振る舞いもできない上に礼儀作法はぼろぼろ、元髪結いの編入生に叱られるほどの髪の毛…それといじりようのないこの性格。女装に向いているわけがない。いつもこの授業は成績がずたずた、化粧の出来を笑われ心もずたずた…憂鬱だ。
そんな気持ちを落ち着かせようと廊下の端っこまで歩いてきてみれば、俺と似た雰囲気の重たい空気を背負っている人が居る。声をかけるまえに気配で振り向かれて、俺は微かに驚くがすぐに事情を察知した。ああそうか、あんたもそういうことですか。
「化粧なんぞ上達する気がしない」
「白粉でむせて気持ち悪いですし」
「俺の化粧がいつ終わるかと待ってる同級生の視線」
「視線に敏感になっただけに辛いですよね」
「仕上がりを想像してにやついてる気配もあるな」
「そして笑うのを堪えるのに失敗して先走って笑うやつとか…!」
「……居るな」
「あれ酷いですよね」
「なかなか堪える」
「そこで折れちゃうと化粧する気もなくなるっていうか」
「投げやりでやるとさらにひどいことになる」
「でももう時間もなくてそのまま、とか」
「……」
「……はあ」
憂鬱だ。
二人揃って廊下に座り、夜空を眺める。この夜空が、皿の墨を洗い流すように流れさって青空が顔を覗かせたらもうそれは処刑宣告も同じだ。俺はきっとまた補習授業で化粧をさせられ、三郎に笑われ雷蔵に慰められ、そんでもってい組の兵助にまで噂が流れ着いたら、…俺はどれくらい深いところにまで落ち込むだろうか。きっとこの前、善法寺先輩が落ちてたタコ壷より深いに違いない。
隣の先輩も、女装には向いてないと思う。女にしちゃ身長が高すぎるし、手も鍛錬でぼろぼろだから隠すのに手間が掛かるだろう。あとその目つき、――どこぞの賭博場にでもいそうな明らかに堅気でない女性が浮かんで、また溜息をつく。
「……そろそろ寝ないと、隈ができるな」
「……それは化粧に支障がでますね。はは」
「竹谷」
「はい?」
声を掛けられ振り向けば、立ち上がったままの状態の先輩の視線は俺をしっかりと射止めていた。音も立てずにすり抜けていった一筋のそよ風が、先輩の寝巻きの裾を弄んで消える。
「また、明日な」
そう言って先輩は死地に向かうような表情をして、軽く手を上げると六年長屋の方へと足音も立てずに歩いていった。対する俺はというと、それに言葉もなく手を振り返すことしかできず、その背を見送った。
奇妙な連帯感が湧きあがり、俺は明日の授業をどう回避するか考えるのをやめた。化け物と笑われたって、自分ひとりだけじゃないのなら耐えられるというものだ。
決戦は明日。先輩を一人で死なせはしないと、俺は一人拳を握った。