「……」
目の前の状況に、どう対処しろというのか。俺はがっちんがちんに固まった筋肉を解そうと、その前にこの緊張した空気を解そうと何か言葉を発そうとするのだけれど目の前のきらきらとした瞳にぶつかってそのまま唇は閉ざされてしまった。どういう風の吹き回しだ、くの一教室の差し金か、それとも鉢屋のときのような「は組の授業の一環」なのか――思考だけがぐるぐると回り、とにかく、俺は完全に立ち竦んでしまっていた。
「先輩!」
「……何だ、金吾」
何だ、には色んな意味を込めてみたけれど、一年である金吾にはただの返答としか映らなかったようだ。きらきらとした瞳は、俺に何かを求めているようで、だがしかしその何かが全く想像がつかない。どうしろっていうんだ。俺は金吾に意識を集中させようとしていた。
金吾の後ろの、十人の一年生を意識しないように、だ。
「あの、僕に剣術を指南してください!」
「……後ろのは観客か?」
「え、あ、いや……その、先輩」
俺が後ろの十人に視線をやると、一斉に俺から視線が外れて、中には顔を伏せるやつや悲鳴じみた声を上げるやつまで居る。そんなに嫌ならどうして来たんだろう、俺は確かに子ども受けしない外面だと思ってはいるがここまではっきりと「怖がられる」と流石の俺だって少しは心が痛む。ああ、食満が羨ましい。用具委員のあの微笑ましいこと、俺は用具委員には手伝いにはいかないようにしている。俺が入ると一年坊主が表情を強張らせるだけでなくあの三年生の富松まで何か妙な妄想を繰り広げ始めるだろうと踏んでいるからだ。
「……み、皆が先輩のことを」
「……俺を? どうした金吾、……ゆっくりでいいから」
「ご、誤解してると、思って……」
「誤解?」
俺は膝を折って、俯いてしまった金吾と視線を合わせる。小さい、な。俺は縦はあるから一年坊主には怖がられることが多いけど、そんな俺に懐いてくれた金吾を悲しませたくない。誤解だとか、まだ金吾が何をしようとしているのかはよく理解できていないけれども、それでも俺は金吾の頭に自分の手を乗っけた。木刀や竹刀を握っていることが多いこの手はまめやたこででこぼこしていてあまり綺麗だといえない手だけれど、それでそろそろと頭巾越しに頭を撫でてやる。前に確か、伊作が下級生にこうしていたような気がしたから、笑ってくれなくてもせめて落ち込んでいる気分が上向きになりますようにと、何度も撫でてやる。
「……先輩、、先輩」
「……あ?」
金吾のことに一生懸命になっていた俺は掛けられた声に適当な返事を返してしまった。声の主に視線をやると、そいつはちょっと肩を震わせたけれど、それは急なことに驚いたくらいのもので、「恐怖」が全く感じられない動作だった。予想外の反応にこっちが驚いてしまう。そいつの眼鏡の奥の双眸が、優しく細められた(あ、こいつ、保健委員だ。伊作に、撫でられてたやつだ)。
「ほら皆、金吾の言ってた通りだ! 顔は怖いけど優しいんだよ!」
「は?」
眼鏡の一年が後ろの九人に微笑みかけると同時に、その表情もぱあっと明るくなる。そうしたらもうまっしぐらに、怖がってたやつも縮こまってたやつも全員が俺に向かって駆け寄ってきた。その勢いに後ずさりしそうになったけれど、いつの間にか金吾が笑顔で俺を見上げていたから、下げかけた足を、戻した。(というか今、顔は怖いけどって言ったよな、やっぱりそう見えてるのか)
じょろじょろと寄ってくる十人がそれぞれの口で笑いながら俺を見て話しかけてくる。こんなに一年生に寄られたことのない俺はちょっと怯むが、金吾が言っていたのはたぶんこういうことで、精一杯に受け止めてやるのが礼儀だと直感的に感じた。
「先輩って、剣術が得意だって聞いたんすけどどれくらい強いんすかっ?」
「あっ、手の怪我放置してますね? だめですよ!」
「からくりは避けられますか?」
「学術の方が得意なんですか?」
「なんでそんなに大きくなれたんですか?」
「金吾にあげた金平糖、まだ余ってますか?」
「なめくじはすきですか?」
「………………………」
「先輩っ」
名前を呼ばれて、はっとする。
呆けていたのか驚いていたのか、それとも目の前の十一個の笑顔に見とれていたのか。こんな光景が見られる日が来るなんて、と心のどこかは未だに驚く余裕を見せていたけれども、俺はとりあえず、今の質問に答えねばならんらしい。とりあえず聞き返して、そこから話を続けて、徐々に慣れていけたらそれで満点貰えるだろうか。俺はどうにも緩む口元を引き締める気にもならず、ぎこちない笑みを十一人の一年生に向けてやったのだった。