平穏日和のふたり


「……」

「……」

 この前に借りた本はあそこの棚、面白かったけど遠いから取りにいくのが面倒だから止める。かなり前に借りたのは火薬に対する本で、石火矢の不発弾の処理の仕方が予想外に細かく書いてあっていい勉強になった、二度と読む気にならない厚さは凶器並みだ。今借りてるのは部屋に置きっぱなしで、……ああそうだ、虫食い文書だからどうにか解読してる途中だった。この広い図書室の図書を全部管理している図書委員たちにはこれ以上任せたくないというか、できることは俺でやっておきたいというか、そんなものだ。大したことでもないし、これもいい勉強だ。

 目の前にあった本に指先を這わせて背表紙をなぞると埃が取れて本の名前が見える。――「生物図鑑」、……すぐに戻す。

「……」

「…………」

 いい静けさだ、と、俺は壁に凭れていた背中を持ち上げて隣の男へと流し目を送る。黙々と本を読み続けるそいつは俺のことは気持ちがいいくらいに無視をしてくれるものだから落ち着く。今日はあの騒がしい同級生は委員会総出で塹壕堀りに夢中らしいから、と、俺は長次の隣を訪れたわけなのだ。

 図書室は好きだ、静かで知識ばかりで、穏やかな時間が俺のどこかのわだかまりを解いてくれるような気にさえなる。

「長次、最近で面白かった本は何かあったか」

「……忍術八門……」

「ああ……俺には遊芸は向いてないってことは分かった」

 どっちかといえば剣術が得意な俺としては、華道や書道はあんまり好みじゃない。といっても俺は縦はあっても重量がないものだから剣筋はぶれやすいし渾身の力で切り付けても大柄な剣豪にはすぐに振り払われて体勢を崩されてしまう。戸部先生にもよく言われることだが俺の場合は身の軽さが武器だ。まあ五年間も忍術学園で学んでいれば俊敏さが目立つのは仕方がない。だけれどももう少し鍛錬量を増やして、いや、もっと力を入れなくてもいいような体勢はないだろうか。人体の急所を最小限の力で急襲すれば。まだまだ勉強不足だ。

「……、剣術についてなら、三番目の棚の中ほどにある……」

「……ああ、ありがとう」

 まるで長次は心が読めるように、俺が今望んでいるだろうという書物の題や場所を教えてくれる。いつもの喧騒の中では解説係り、五年の不破や一年は組が居なければ分からないと言われるけれどもこの静かな図書室の中では長次の微かに空気を震わせる心地よい低い声は俺だけに伝わる丁度いい塩梅だ。物静かで人の心の奥をすぐに察することができる長次は色んな場面で苦労をすることになるだろうけれど、俺はそういう長次の分かりにくい優しさに甘えたい。

「長次」

「……」

「いい団子があるんだ」

「……」

 こくん、一回頷いて長次は読んでいた本を閉じて立ち上がった。俺はそのたくましい背中を一瞥して、つられるように立ち上がる。長次とはこういう静かな時間の使い方をしていることが多いから、多少の言葉が足りなくてもこうして行動に入れる。長次との時間はこうやって余計な気を回す必要もなし、穏やかな時間を過ごせるから好きだ。一足先に俺は六年長屋に足を向けて、図書室を出た。

 図書室での飲食は原則禁止だ。だから俺の言葉はそのままの意味じゃない。

「……」

 団子をご馳走するから、長次の部屋で茶と一緒にどうだろうか、と、本当ならばこうやって話すべきところを長次は全部察してくれる。本当に、人間のできた良い友人だ。俺は目許を緩めて、もう見慣れた廊下を歩き出す。ほんの少しだけささくれていた心の痛みが和らいだ気がして、無意識に制服の合わせ目の辺りを埃のついた指でなぞった。

 こうした休日の過ごし方も、嫌いじゃない。

 だからこの時間の温かさを共に過ごす喜びを噛み締めたいと思ったってバチは当たりっこないだろう。