「うお」
とん、と体にぶつかってきた体を支えてやる。前を見ていなかったのか、少し慌てた様子の下級生の体が身じろぐ。肩においていた手を離してやると、勢いよく上向いた丸い目がを見た。半開きの口と丸い目、そこでようやくぶつかってきた下級生の名前が分かった。若草色の、少し汚れた三年生の制服を着た男子生徒。
「すみません、先輩!」
「いや、大丈夫か? 神崎」
「僕は平気です!」
元気のいい下級生だ。はきはきと答える様は見ているこっちも気持ちがいいが、そんな元気のよさは行動にも表れてしまっている。会計委員会所属の三年生、神崎左門はにかっと笑ってに頭を下げた。至近距離での勢いのある首肯は、胸板への頭突きへとなり、肋骨と頭蓋骨の接触を生み出す結果になる。ごつり。骨と骨とがぶつかりあう音が、近くに聞こえた。
「……平気か?」
「平気です!」
「そうか、どこに行くつもりだ?」
「会計室ですよ、当たり前じゃないですか!」
答えるとすぐさま駆け出す左門。それを黙って見過ごすこともできず、は脇を通り過ぎていこうとする襟首を引っつかみ、そして首を絞めてしまわぬように空いた手で左門に静止をかけてやる。両手で左門を止める形になったが、不満げにを見上げる彼はまだ駆け出すことを諦めていないらしい。
「なんですか、僕は急いでるんですよ先輩!」
「会計室は、そっちじゃない……」
「え? あっ、じゃあこっちですね!」
「……そっちでもない」
ぎゅう、今度は勢いを殺してやることができずに左門の首に制服が食い込む。苦しそうな声がしたのちに、左門の襟首を離してやると、ようやく足を止めた左門が廊下をぐるりと見渡した。
「西はどっちだ」
問うと、左門は笑って東を指差した。
「……手、貸せ」
「え? うわあ、先輩の手って大きいんですね!」
「そうだな、……お前のもすぐ大きくなる」
「そうだと思います!」
握った手は温かかったが、どちらの手も姫や殿のように綺麗な手じゃない。さまざまなことに素手で取り組んできているのだから、傷もあればささくれもある。ざらざらとしたかさぶたが掌を擦ってくすぐったいけれど、左門はなんだか嬉しくて、その手をぎゅっと握り返した。
「じゃあ先輩、行きましょう!」
そしてそれは、次の休日の早朝だった。
「……は?」
「だから、この間のお礼に、うどんを食べに行くんですよ!」
「誰と、誰が?」
「僕と先輩がです!」
笑顔で言い切られ、言葉が出なくなる。わざわざ六年長屋にまで出向いてきて誘いに来るだなんて、と目を丸くする。三年生がここまで来るのには用事があっても勇気がいることだろうに、私用だけで来るのはあまりに直球だ。答えかねていると、左門が焦れたようにの袖を引いた。
「思い至ったらすぐに行動に移さないと! 大安ですから!」
「……今日は仏滅だぞ」
「いーんです、そんなことどうでもいい!」
言いくるめられた。吉日と大安を混在させているような左門にそんなことと一蹴されたが、まさにそんなことどうでもいい。は諦めたようにため息じみた呼吸をし、左門の頭に手を乗せた。そのまま、綺麗に整えられた髪を乱してやらないように撫でてやる。
「ちょっと待ってろ、……外出許可証は?」
「はい! まだです!」
「もしかして、思い立ったの今日か」
「なんで分かったんですか?」
準備を整えたらしいが廊下に出て、襖を閉める。それからすっと掌を左門に伸ばした。もう躊躇うことなく左門もそれを掴む。決断力のある方向音痴に独断専行を許してはならないから、と言い訳をして、そのまま手を繋いで歩き出す。
「なんとなくだ」