ほどほどに、


 九十三、九十四。頭の中で、均等な時間を分けて数えながら両手に握り締めた木刀を振り上げる。ずきずきとする痛みにももう慣れた頃、俺はようやく部屋からの軟禁から解放された。というのも伊作が頑として俺の鍛錬がしたいという懇願を受け入れなかったせいだ。そのたび、「傷口はが思ってるより酷いんだぞ!?」の一言で説教は締められ、扉も同じく無常にすぱんと音を立てて閉められた。

 それも昨日で終わりだ。俺は今、いつもより緩む表情を引き締めようとしていた。表情を引き締めなければ精神も緩む。久々の、ごつごつとした木の感触にどきどきする。やはり体を動かすのはいい、淀んでいた思考がするすると解けていく気がする。

「九十九……、!」

 遠くて、鳥の声か枝の折れる音か、そんなものが聞こえたような気がした瞬間、腹部の傷がずきん! と爆ぜるように痛んだ。反射的に傷口を庇おうとしてしまった体のせいで木刀を握っていた手の力が、抜ける。振りぬいた瞬間の出来事だった。俺は目を見開いて急いで木刀を見上げた。横に垂らした髪がいきなりの俺の行動についていかず空中で奇妙にうねる。

 木刀は俺の手から離れて、俺の力と遠心力を得て速さを持って飛んでいった。どこまで飛ぶのか検討もつかないが、もしも、もしも落ちた先に人が居たら怪我をするだろう。悪ければ様々な、忍者としてくの一としての可能性を奪ってしまうことになる。己の未熟さに唇を噛み締め、木刀を追おうと脚に力を入れたところだった。

「はっ!」

「!」

 何かが風を斬るように、目で追えない速さで木刀を追う。一瞬、ギラリと日光に反射して俺の目を眩ますそれはあまりに酷い鋭利さで、目を細めた瞬間に木刀を見事に射止めた。そのせいで力を失った木刀はくるりくるり、ほんの少しの回転を披露しながら、からん……。あまりに空っぽな音を立てて地面に落ちた。

 目の前に、落ちた。誰にも傷をつけることなく、目の届く場所にある。それに溜息をつきながら、誰かに自分の失敗を見られたこととそれの尻拭いをさせてしまったことに今更ながら胸の辺りがずきずきする。もう慣れたはずの痛みに俯いてしまう、ずきずきずき、黙れ! 悪態をついてから、俺は礼を言おうと顔を上げた。

「もう大丈夫なのですか、先輩」

 すると既にそいつは俺の目の前に居た。少し近すぎて驚いたが、そうだこいつこそが俺の失敗を止めてくれた俺の恩人、礼を言わねばならない。

「悪い、助かった……滝夜叉丸」

「いえ、この滝夜叉丸には造作も無いことです!」

「そうか」

 確かに、あの戦輪の扱いは俺も、六年生の誰だってできないだろう。それは滝夜叉丸の十八番というもので、戦輪の扱いを九十九の才能で開花させたらしいこいつは六年になったら、いや、卒業したらどのような忍者になるだろうか。いや、愚問だ。きっと何も変わらないに違いない。

 下級生には評判は悪いが、成績は学年の中で一番、上級生には礼儀正しく敬語を使い、自分を控えめにできる滝夜叉丸はとても腕のいい忍者になるだろう。四年にしておくには勿体無いくらいだが、自惚れはほどほどにしたほうがいいと、密かに思っている。俺はなんだかんだでこの自分を信じて疑わない後輩を買っているのだ。

「負傷なされたとお聞きしましたが」

「その通りだが」

「ご自愛ください。鍛錬も完治までは……程ほどに」

「……」

 まるで思考を読んだ意趣返しのように目の前の後輩から出てきた「程ほどにした方がいい」、に、俺は目を丸くする。そうか、こいつは「自分は何一つ間違ったことはしていない、真実を貫いて生きているのだ」という信念で立っている。だとしたら俺の思っている、滝夜叉丸に言おうと思った「程ほどにした方がいい」は無意味だ。

 その代わりにごまかすように俯いて、ありがとう、と一言呟いて、戦輪の突き刺さった木刀を拾い上げた。