「伊作! 入るぞー」
委員長をしている体育委員会中に、苦無が岩を引っ掛けた。その反動で少し擦った傷をどろどろにしてしまって、さすがにまずいかなと思って、友人である善法寺伊作に手当てを頼みに来たのだった。しんとしている保健室に入り込んだところで、誰も居ないのかと思っていた私の考えは根本から引っくり返された。しまった、と思う。
血の匂いが充満していた。
「――小平太かい!?」
「あ、伊作、……これは」
「ちょっと、喋れるくらいの怪我ならあとにしてくれるか!」
衝立の向こうで、がさがさと人が蠢く気配がする。たぶん伊作だ。動いているのは一人分だから、新野先生は今留守なのだろうと思った。治療中なのだろう。衝立の下から少しだけ覗く制服の色は私が着ているものと同じで、それは黒ずんだ染みがついた、どろだらけのもので、――同級生の誰かのものだと気づいた。私は急に恐ろしくなって保健室を出て行こうとした。しかしそれを許さないように、伊作の叫び声が響く。
「小平太、頼む、手伝ってくれ!」
「わ、私は手当ては授業での最低限しか……」
「そんなんじゃない、ただ、押さえ込んでてくれればいい!」
その切羽詰った声に、私はよっぽどの緊急事態だということを悟り、さきほどまでの恐怖を忘れたかのように衝立の向こうへと飛び出した。そこには軽く吐き気を催すくらいの血液の匂いが充満していて、思わず顔を顰める。それから、その血の海の真ん中に居た原因の顔を見て、私は叫びだしそうになった。
「………………」
唇を切れるほど噛み締めて、何をしても冷静さを失わない印象のあった六年来の友人の一人、が冷や汗や脂汗やらを浮かべながらそこに横たわっていた。腹部からの出血が酷く、刃物で一突きといったところか、とても痛々しかった。獣のように唸り声を上げ、荒く息を吐きながらも既に意識も朦朧としているようだ。
「頼む、暴れられちゃ縫合もできない」
「……分かった」
舌を噛み切ることのないようにと、伊作が布をの口に噛ませる。それを口の後ろできつく縛ってから、私はの肩を、のしかかる形になって全力で押さえる。もしかしたらどこか他の箇所も痛めているかもしれない。あのがこんな失敗をするなんて、と私はそこはかとない衝撃を受けていた。
「いくよ、きつく押さえておいて」
「おう……!」
伊作が、縫合用の糸のついた針を取り出す。あれがの白い肌を刺すのだと思えば自分のことのように痛みが走る。長次と比べてあんなに綺麗だった傷のない肌がこうやってぼろぼろになっていくのだと思うと、と私は歯を食いしばった。針がの腹部に触れた。びくりと痙攣する身体を、息をすることさえも許さないといわんばかりに全体重を掛けて押さえつけた。
針がほんの少し、蟻が這うくらいの速さで動くだけでは布の向こうで声にならない悲鳴を上げる。腹に力を入れて声を押し殺そうとしているのか、腹部の出血が止まらない。意識も無いはずなのだ。だらだらと流れて行く血液が衝立を越えた。
「う、ぐあ――」
「がんばれ、がんばれよ……」
この痛みが永劫続くものではないことを、祈ることしかできない。たぶん痕にはなるだろうけれど、は女子ではない。身体の傷はあざ笑われるものではなく、男児にとっての勲章たるものなのだと教えてもらった。痛みを知らない男など、辛さを知らない男など立派な忍者にはなれないのだから、だから、これは決して辛いことではない。も辛いだけではない、これは勲章なのだから。
「小平太、もっと強く!」
組み敷いた下で、私の手によってぎりぎりと鳴る骨を感じながら、まるで首をしめているような錯覚がした。