ひまわりの笑顔


「君、よく来るよね」

 忍術学園で、あんまりすきになれない委員会である保健委員になってしまったぼくは、毎日せっせと保健室で怪我人の手当てをしていた。その中でも、よくぼろぼろになってやってくるのが、、彼だった。

「……」

「けんか?」

「……」

 彼はひどく素っ気無くて、それでいて誰とも近寄りたがらない人だった。前の痣も傷も何も癒えていないのにいつも保健室に転がり込んでくる。実際に一回だけ誰かに引きずられてきて、背中を押された衝撃で前転しながら保健室に突入してきたこともあった(笑うべきか耐えるべきかまよった)。それでも彼はにこりともせず、泣こうともしない。同じ組にはいない性格の子だと思った。気になったから新野先生に聞くと、い組のくんだよ、と頭を撫でてくれた。ぼくは新野先生の手がすきだ。

「……」

「ねえ、痛そうだね」

「…………」

 手当てをしてあげている間、彼は一言も喋らない。だから躍起になって喋ってもらおうと、わざとしみる消毒液をつけてみたり、それを染みこませた綿をぎゅうっと押し付けてみたりもした。そうしたら彼は呻き声を上げてものすごく悔しそうな顔をしてぼくを睨むのだ。そういう顔を見ると、同い年だっていうことがわかってちょっと嬉しい。無表情しか見たことがないくんのその顔はものすごく年相応だったのだ。

「あ、そろそろ来るかなあって思ってたんだ!」

「……」

 黙ってぐずぐずと嫌な音を立てながら鼻をすすりながら、いつも通りにくんは保健室へとやってきた。(鼻血を上を向いて飲み込んでいるようだったからぼくは慌てて「血は固まるから飲んじゃだめ!」と叫ぶ)そして迷うことなくぼくの目の前に座って、治療しろと言わんばかりに怪我した場所を差し出してくるのだ。そんなのいつもどおりで、ぼくはにこにこしながら、またちょっとだけ染みる消毒液を救急箱から出した。するとくんの顔がしかめられて、嫌がってるんだろうなあと思いつつそれを綿に染み込ませようとしたときだった。

「それいやだ」

「…………え?」

「染みるの選んでんだろ、別のがあるからそっちがいい」

 ぼくは目を丸くして、くんを見やった。もしかしたらこれがくんとの初めての会話だったかもしれない。彼はやっぱりぼくのささやかな悪戯に気づいていて、それを止める気のないぼくに痺れを切らしたのだろう。

「ねえ、名前教えてよ!」

「知ってんだろ」

「いいから、ぼくは善法寺伊作っていうんだ!」

だよ、……生物委員」

「生物なんだあ!」

 一言話せればそこからはとても楽しかった。次のときには笑ってくれたし、やっぱり少し染みる消毒液をつけてみようとすれば彼はぼくを軽く小突きながらやめてくれって言う。最初の頑なな無表情は人を拒んでいたのかもしれない。でもやっぱりこうしてぼくと話しているときのくんは嬉しそうに見えて、もしかしたらくんはぼくのことが気に入ってくれたのかもしれないと、ちょっとだけでも自惚れたのだ。

「生物委員なのにハチュウルイが苦手なのはおかしいって言うんだ」

「別にいいんじゃないかなあ、ぼくだって保健委員だけど怪我は嫌いだよ」

「それは違うんじゃないか」
「そうかなあ?」

 そうだよ、と言って、彼は俯いた。ぼくは慌てて染みない消毒液を含ませた綿を動かしていた腕を止めて、彼の顔を覗き込む。そこには唇を噛み締めて眉を潜め、目の縁をぶわっと真っ赤にさせたくんが居た。ぼくは知っている、これは、泣きそうなときの表情だ。どうしたの、とぼくは彼の背中を撫でた。

「……苦手なのはかっこわるいっていうんだ」

「かっこわるい?」

「男の癖に、かっこわるいって、いうから」

「それが、けんかの理由?」

 こく、と、小さく彼の頭がゆれた。い組は成績優秀な人が集まるんだって前に聞いたことがある。だからたぶんくんも成績はいいんだろう。なのに苦手なものがあるっていうのはもしかしたらい組の人たちにいわせれば「かっこわるい」のかもしれない。でもぼくだって色んなものが苦手だ。穴があれば落ちるし茂みを抜ければ目の前は崖っていうこともある。

「おれ、かっこわるくないって言うのに、かっこわるいって」

「うん」

「だから叩くと、すぐたたき返してくるし引っ掻くし」

「……うん」

「でも怒られるのはおればっかで、かっこわるいからおれが悪くて」

 そこからは声にならないらしくて、呻き声はぼくまで泣きそうになるくらいの苦しさを含んでいた。毎日、彼はこうやってばかにされて、子どもだから流すことなんてできなくてけんかになって、こうして怪我ばっかりしてくるわけなのだ。どうりで、授業じゃできないような引っ掻き傷やみみずばれがあるわけだ。ぼくはさっきまで消毒していた、まだ血が滲む引っ掻き傷を見た。

「じゃあ約束しよう!」

「……やっ、やくそ、っく?」

「うん、くん。きみはもうけんかしちゃだめだ!」

「そんなの、……で、っ、でき、できるわけ」

「できる! だってくんは強いもん!」

「……強い?」

 震えていた腕が、ぴたりと止まった。ぼくがしっかりとくんの前髪を見つめていると、すうっとくんの視線がぼくまで上がってくる。その目は赤いけれど全然涙なんて浮かんでいなかった。

「おれが、強い?」

「うん、だってこうやってぼくに話せたでしょ! かっこわるいとこってぼくはいえないもん」

「……強い、か?」

「だから次は、もうちょっとしたら苦手じゃなくなるんだって言ってやりなよ!」

 正直、何の解決にもなっていないんじゃないかとも思った。でも、それは彼にとって魔法の言葉になったみたいだった。次の日からぱたりと彼は保健室に来なくなった。ぼくはもしかしたらくんはぼくが思ってた以上にずうっとずうっと強い人だったのかもしれないと思った。組の違う彼と会えるのは保健室しかなかったからちょっと寂しいとおもったけれど、たぶんくんはぼくとの約束を守ろうと、泣きそうになるのもたたきたくなるのもがまんして、ぼくの言ったあの言葉を言っているんだろう。彼はやっぱりプライドが高くて、ぼくとの約束は破れないのだ。

 そう思っていた。

「…………、……」

、くん」

 今まで、これくらい酷く怪我をしてきたことがあっただろうか。ぼくは困惑しながらも怪我の手当てをしてあげようと思って保健室の入り口で仁王立ちをしているくんの手を引こうとする。本当はとっても落胆した。彼がぼくとの約束を破ったこととか、もしかしたらぼくとの約束なんてなんとも思っていなかったんじゃないかとか、彼の中でのぼくの位置が分からなくなっていた。

「けんかしちゃだめだっていったじゃない」

「……伊作」

「え」

 ぼくはまた目を見開いた。今まで名前どころか苗字を呼んでくれなかったくんが、いきなりぼくの名前を呼んでくれたのだ。驚いてぼくがくんの顔を見ると、彼は泣いても無表情でもなかった。今までに無い、すっきりとした笑顔を浮かべていたのだ。

「お前のためにたたかってきたぞ!」

「……え、……え?」

「お前のことを不運小僧だって笑ってたやつらが居たから、その、約束破ってごめんな!」

 ということは、だ。この怪我は、もしかしなくてもぼくのための、そう思ったら今度はぼくの鼻の奥がツンとして、目の前がじんわりと潤んだ。そうしたら彼は慌ててぼくの背中を撫でてくれた。いつもと逆じゃない、ぼくがくんの怪我の手当てをしてあげなきゃいけないのに。

「な、なんでこんな怪我までして、痛いんだろお」

「痛いけど」

「きゅ、救急箱……」

「だって、お前は友達だから」

 ぼくの足は地面に縫い付けられたみたいに動けなくなっていた。

「……とも、だ、ち」

「そうだ、伊作はおれの友達だ、だから泣くなよ」

 そういって笑うがとても優しく微笑んでいたから、たぶんぼくのいったことは間違ってなかったんだって、心底ほっとしたんだ。


「こういうこともあったんだよ、乱太郎」

「あの先輩にですかあ?」