饅頭事件


「おばちゃーん、何かない?」

 ある晴れた忍術学園の昼間、昼食には遅い時間に食堂に足を向けたのは一年は組に在籍する加藤団蔵。だいぶ全身的に、特に目元に疲れが見えるのは季節柄・委員会柄であろう。団蔵が所属するのは、あの学園一にギンギンに忍者していると言われる潮江文次郎が率いる地獄の会計委員会なのだ。今は予算会議が近い時期であるため会計委員会は会計室に缶詰状態、他の学年の会計委員もぼろぼろの状態である。しかも昨日は潮江先輩の機嫌が悪く、空が白むまで寝かせてもらえなかったので団蔵にも隈が移ってしまった。

 その団蔵がなぜこんな時間に食堂に居るかというと、昼時に昼食を食べるのも億劫になるくらいの眠気が団蔵を襲っていたからであり、さきほど目を覚ましたからだ。クラスメイトは皆、団蔵のぼろぼろさ加減に同情して誰一人として眠りを妨げてくれなかったので危うく昼を食べ損ねるところだった。しかし、食堂は静まり返っている上に食事は何も無い。

「……居ないのかなあ」

「あ? 何をしとる、団蔵」

「し、潮江先輩!」

 いきなり聞こえた声に肩を震わせる団蔵だが、すぐにその声の主がわかって別の意味で肩を震わせる。

「何をしとると聞いてるんだ」

「え、ええと、お昼を食べに……来たんですが……」

「は? 昼には遅いぞバカタレ」

「え、へへ、寝てました……」

「……」

 団蔵は、おかしいな、と首を傾げる。いつもならここで、授業中に居眠りするなんて忍者としての修行が云々やら十キロ算盤を持って廊下に云々やら潮江先輩のギンギン指導が入るのに、と心の中で呟いてみる。だがしかし、目の前の潮江先輩はどことなく目を丸くして、団蔵を見下ろしていた。数秒間目が合っていたが、ふと文次郎の目が細められ、手が伸ばされる。少し身構えた団蔵だったが、その手が迷うことなく団蔵の頭の上に乗せられたのに気づいて驚く顔を隠そうともしない。

「休憩も必要だが、昼食は取らんと体力がつかんぞ」

「は、……はい!」

「鉄粉をまぶしたおにぎりでも食うか」

「え、遠慮しておきます!」

「冗談だ」

 鉄粉おにぎり、と聞いて一度だけかじったことのあるあの感触を思い出す。歯が欠けるかと思うくらいの硬さに、まずそうな灰色の見た目、なぜあの忍術学園食糧難のときにあんなものを作ろうと思ったのか聞いてみたいが聞く勇気は団蔵には無い。あの潮江先輩が冗談を! と叫びかける団蔵の前に、すっと皿が差し出される。

「これしか無いが、悪いな」

「え、これ!」

「……饅頭は嫌いか?」

 丸く、白い饅頭が三つ、皿の上に鎮座していた。きっと中には餡子が詰まっているのだろう。疲れた頭には甘いものといったもので、脳が糖分を欲しているのが体でも分かる。思わず生唾を飲む団蔵を見てほんの少しだけ笑みを見せたその潮江先輩は、団蔵に一言だけ付け加えてから食堂を去っていった。

「…え?」

「あれ、団蔵! 何それー!」

「あ、しんべヱ」

「お饅頭! 僕にも一個ちょうだい!」

「いいよー」

 まさか潮江先輩に貰ったとは思わなかったのだろう、しんべヱが釣れた。

 そして、そのことを話すとしんべヱが目を丸くして餡子を口の端に付けたまま口を開く。

「僕、さっき食満先輩と喧嘩してる潮江先輩を見たんだけど…」

「…え!?」

「ここからすぐには行けない場所だったんだけどなあ」

「うそ、だってこのお饅頭、潮江先輩がくれたのに」

「ほう、団蔵。その饅頭を、誰がくれたって?」

「…、……、………」

 首が、ぎぎぎと音を立てた。目元の隈がここ最近で濃くなった、昨日の夜も見た顔がそこにあった。そういえば、昨日機嫌が悪かったのは同じクラスである六年い組の先輩と喧嘩しただからとか田村先輩が教えてくれたな、だとか、さっきの潮江先輩はここまで隈が酷くなかったよな、だとか。髪は乱れ口元は腫れ、いつも以上に隈の酷い目元にぎらぎらと血走った双眸、まるで般若のようだと、団蔵は思った。

 ――潮江文次郎の饅頭だ、心置きなく食え。

「え、ちょ、ま」

か? あいつに貰ったんだな? そうなんだな団蔵!」

先輩いぃ!」


「で、わざわざ買い直すならこんなことしなければいいだろうに」

「…自分が食べたかっただけだ、別にあいつのためじゃない」

「まったく、分かりにくい」