疲れた。疲労はピーク、肩凝りも尋常じゃない、その上に今までずっと勉強漬けのへとへとだ。歩くのも覚束ないくらいで、それでも歩かねば休む場所にすらたどり着かない。辺りはもう薄暗くなっていて、この夏の気配が日増しに強くなる一方のこの頃、たまに落ちてくる雨粒が湿気を呼んで私の苛々を膨張させる。
 だけど今日はもう限界だ、それに反応する余裕もないくらいに疲弊している。活字はしばらく見たくもない、数式も考えたくなければアルファベットなんてメアド以外に見たくもない…、…そういえばなんかメール来てるかな。いつもなら音楽でも聴きながら歩いている道なのだけれど媒体を取り出すのにも腕が億劫で上げられず耳は開いたままだ。勉強中は携帯の電源は落としておくことにしているからメールが来ていても分からない。…誰か知り合いからか、スパムかそれとも…、落としてばかりだから少し傷の目立つ携帯の電源を入れて、新着メールを問い合わせる。


 新着メール、二件。
 一件はスパム? 一件は親からとかそこらへんかな、と思いながら受信フォルダを開けると、意外にもその二通は同じ送り主だった。それに集中しすぎて、一瞬、そのメールが誰からかだなんて理解できなかった。

 送り主は、財前光。

 名前を見て、凍りついたように私の足は止まった。財前とは家が近所で、年がいくつか離れている私は彼のことを弟のようによく構ったものだ。小学校に入って仲のいい友達もできた財前は相変わらずのクールな生意気少年だったけれど、私はそれにほっとしていたのだ。私の中の財前と目の前の財前に齟齬がないことに、年上の余裕なんて見せる暇もないくらいにみっともないくらい安心して、そして、変化が怖いと嘆く。


「……」

 メールを開くと、中には他愛も無い挨拶とちょっとした近況報告があった。四天宝寺に財前がちゃんとなじめるか、だなんて年上ぶった心配もしてみたのだけれど、小学校で仲の良かった子が入学してきたのだと少し嬉しそうに話す財前を思い出してふと笑う。生意気なのは、相手に心を許している証拠なのだ。生意気な態度を取っても嫌われない、そんな相手を見つけて、仲間を作って、そうやって今も楽しくテニスをしているのならば私は嬉しい。
 次のメールは、携帯の電源を入れる少し前に届いていた。前のメールとかなり時間があいている。何か伝え忘れか、それとも急用だろうか。のんびりと決定ボタンを押すと、ぱっと画面に文字が現れた。さきほどのメールと比べて、文字数が少ない。…少ないどころではない、片手で足りてしまった。

 (いまどこ?)


「…遅いっスわ」
「ひ、…ざっ、財、財前っ?」
「メールの返事来ないし、帰り道で待ってても会えないし」

 ほんと、とろくさい人っスね。
 後ろから抱きしめられる状態にある私の頬に、財前の耳に開いているピアスが生温く密着する。その感触がなんともいえなくて、それでもこの感触が財前なのだと思えて目を細める。私の前でクロスされた彼の腕に、そっと私の掌を当てる。

「なんで」
「……」
「なんで、待っててくれたの?」

 薄暗さと、財前の温もりと、ピアスの感触とが私の本音を後押しするように蹴り出す。蹴り出された本音は数歩、無駄足を踏んでから体勢を整えて、言うつもりのなかったはずの言葉が財前に向かって走り始める。待って、と言おうにも後押しされている私の本音は止まらない。年下のくせに私より背が高くて、私より力が強くて、ラケットを握る掌はまめだらけで、じとりと汗の滲む財前の掌が、私の薄手の服の生地を通り越して熱いくらいの彼の熱を押し付けてくる。

「知ってるでしょ、私、…だめだめなんだよ」
「なにがっスか?」
「…模擬試験、最悪だったかも」
「いいじゃないスか、本番じゃないんスから」

 私は財前に、救いを求めている。
 財前は感情に対して不器用だから、本当に優しいのにそれがまっすぐに伝わる人は少ない。それに縋りたい私は、その心を映し出されるかのように財前の腕に添えていた手に力をこめて、彼の陽に焼けて熱い肌を掻くように掴む。

「…ごめん、ごめんね、財前、私」
「ま、しゃーないっスわ」
「ごめんね…っ」
「そんな先輩が好きな俺が物好きなだけっス」
「…ばか」

 本当は今日、落ち込んでるかもしれないって思ったんでしょ? だから待っててくれて、慰めてくれるつもりだったんでしょう。遅くなった私を待ちきれずにそっちから来てくれるだなんて、…ばかみたいに独り善がりな妄想を膨らませて、そうだったらいいな、なんて思ってみたりしてもいいと思う。

「…ほんとは」
「……」
「待ちきれなかっただけっスよ、俺が」

 更に強く抱きしめられて、私はその腕に感謝してもしきれないくらいの優しさをもらった気がして、そっと目を閉じた。