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「ああ! そうか、あなたが。あなたが、へえ、ふうん」 じろじろじろじろ、突き刺さるような視線とはこのことを形容しているのだと思えるほどぶしつけなそれが、平和島静雄に熱く注がれていた。黒いスーツを着た女は、池袋最強と恐れられる男にサングラス越しに睨まれていることに気づいていたが、その動作をやめることなく、口元を歪ませた。本人は笑ったつもりだったが、果たしてそれが何人に通じたかは彼女の知るところではない。 「ははあ、意外と細い」 「見せモンじゃねえぞ」 「お金なら払うよ。だから見せモンになってくれないかな、頼んでもだめかな? そうだね、あなたは本当に興味深い。まあ私はあなたの事を、話に聞いて写真を見て遠目から観察してなおかつ今までの調査結果を知ってるだけだけど……おっと失礼」 静雄の掌の中で、缶コーヒーが音を立ててつぶれた。スチール缶のそれは人間の握力では簡単に握りつぶせるものではないのだが、平和島静雄に「通常」は当てはまらなかったのだ。規格外の握力によって無残に千切れたスチール缶をゴミ箱に放り投げて、深く息を吐く。静雄はクールダウンを試みていた。 結果、それは少し成功した。暴れだしそうになった衝動を抑えつけて、彼女を放置してここを去る判断ができるまでになった。素早く踵を返そうとして、だがそれを引き留めるように笑い声がする。 「あ、もしかして無視して行こうとしている? 困るな、困るよ。私は私が困ったら嫌だね」 「……」 「あなたの都合が悪そうだとは思わないけどな、だって三十六分前にあなたは仕事を終えて上司と別れてるね。そして十二分前にここに来て、十一分かけて缶コーヒーを飲み干した。歩き飲みしないような気分ってことは時間に余裕あるんだろ?」 「……」 「だったらいいよね、私と話をしてくれても。返事はないと了承だと受け取るよ、あっても照れ隠しだと思わせてもらうけど」 平和島静雄は唇を噛みしめた。その間から唸り声を上げ、ぎらりと獰猛な瞳を覗かせる。その鋭い目に射抜かれても、女は面白そうに声を上げるだけだった。あまつさえ拍手まで始める。 「すごいな、やっぱりお金払うよ」 ほら、と言って彼女は皺くちゃの一万円札を静雄の手にねじこもうとした。それが決定的で、静雄はぎりりと奥歯を鳴らしたのち、恐ろしい勢いで女の細腕をひっつかんだ。握りしめてみて、女の着ているスーツの生地がいいものだということと、すごく華奢だということが分かった。普段の静雄にしてはずいぶんと手ぬるい力だったが、彼女は掴まれた腕を振り払おうともせず、傲然と彼の前に立ち続けていた。だが、微かに眉をハの字にして、少し驚いたような声を漏らす。 「……案外、紳士ですね」 「あ?」 「あの、有無も言わさずへし折られるかと、思ってて」 「へし折られたいのか」 「……」 黙った方が賢明だと思ったのか、女は黙りこくって、それでも一生懸命に静雄から視線を離そうとはしなかった。通常の静雄ならば既に女を放ってから気分悪い、と自宅へ足を向けただろうが、なぜだか目の前のこの女に何かを感じ取っていた。何かとは、強いていえば違和感、キャラメルにくっついてきたセロファンのような、些細といえば些細だが気になると仕方がないようなものだ。 静雄に渡し損ねた一万円札が、ひらりと彼女の指の間から落ちる。 「おい」 「……」 未だに喋る気はないのか、わずかに首を傾げられた。 「てめえ、どこの人間だ」 「……」 「黙ってちゃ、分かんねえだろ」 ぎゅ、と腕を掴んだままの手に力を込めると、おおげさなほど彼女の肩が跳ねた。さっきまでの奇妙な上から口調はどこいった、と静雄が口を開こうとしたとき、視界の端に黒いものがよぎった。同時に背筋を駆ける嫌悪感。 ほぼ反射的に女から離れると、さきほどまで静雄の頭があったところにきらりと閃光が走った。薄暗くなったせいで点灯した街灯に反射したせいで、それがナイフだと気付く。 「さっすが静ちゃん! 動物並みの嗅覚だねえ」 「……てめえ……!」 「わあ怖い顔。でも生憎だなあ、今日は遊んでる暇ないんだよ」 迷子を保護しにきただけだから、と囁くと、突如現れた黒髪の男・折原臨也は黒いスーツの女の腕を掴んだ。素早く引き寄せると、わざとらしい困ったような笑顔を浮かべて、彼女の髪を撫でつけてやる。 「ちゃん、自由行動の時間じゃなかったよね?」 「……は、はい、先輩……」 「じゃあなんで俺の言うこと聞かずに静ちゃんで遊んでるの? 研修生のくせして上司の言うこと聞かなくていいとでも思った?」 「ち、違います。私、わた……」 静雄に対して物怖じなく応対していた女の姿はどこへやら、臨也にじっとりと詰問される姿はすっかり萎縮してしまっていて哀れにすら見える。「先輩の」ようやく続いた言葉には、若干の嗚咽も交じっていた。 「先輩、の、真似したら、独り立ちできるかもって……め、迷惑、かけてばかりで。私」 「……君が? 独り立ち?」 「……」 「」 と呼ばれた女はまた肩を震わせて、しかし彼から逃げようとはしなかった。 呆れたというよりは、仕方のない子だ、という種の溜息を吐くと、臨也は彼女の手に何かを握らせた。かさりと音を立てるそれ。 「落し物だよ」 「……ご、めん、なさい」 「うん。じゃあ帰るよ、今日はここまでだ」 そう言うと、臨也はひらりと身を翻し、の手を取ったまま駆け出した。次の瞬間には一秒前まで黒いファーコートが居た場所めがけてゴミ箱が叩き込まれる。轟音を立ててアスファルトにぶちまけられる中身。散乱するアルミ缶の中で一際目立ったのが、ぐしゃぐしゃになったスチール缶だった。 「静ちゃんってひどいよね、女の子が居るっていうのにさ!」 「うぜえ! 殺す、死ね!」 「へ、平和島さん、ごめんなさい、ごめんなさい!」 「、喋ってると舌噛むよ」 駆けていく二人の背中にめがけて、静雄は手当たり次第にものを投げつけていく。途中、自転車だかバイクだかを轢いてきた気がしたが気にする余裕はなかった。できるだけスーツの女には当てないようにと、欠片ほどの冷静な静雄が注意したが、それもすぐに気にすることができなくなる。 そうして、やっぱりというか取り逃がしてしまい、ああイライラすると一通り暴れてから自宅に帰ったのが一昨日の話である。 「……」 「先日は、あの、本当に申し訳ありませんでした……」 インターホンで起こされ、不機嫌そうな静雄がドアを開いて見たものは、菓子折りを差し出して九十度の直角で頭を下げる女だった。 差し出された名刺にはという名前と、見たくもない名字事務所と印字されている。いらねえ、と菓子折りともども突き返そうとして、女が今にも泣きだしそうなのを見てぎょっとした。 「あ、わ、私、その……」 「……あー、臨也のことならいつものことだか」 「い、いくら真似をしていたからってあんな言葉づかいで、年上の方に、話すなんて……う、う」 「そっちかよ」 関わりたくない。関わってなるものかと思ったが、素直に詫びを入れにきて泣き出した女を放置するわけにもいかない。たぶん寝起きのせいで頭が回ってないのだと自分に言い聞かせながら、深い溜息をついて、静雄は観念したように目を閉じた。話を聞くならどこがいいかなんて考え始めるためだった。 |