「そりゃね、。あたし達だって、みんなチボデーのことが大好きよ」
「分かってるよバニー」

 月の浮かぶ夜だというのに、目も眩むほど煌びやかなネオ香港の街、某所。ガンダムファイトだなんだと忙しく飛び回るチボデーが早めに休んでしまったからとこっそり出かけようとするバニーを見つけて、むりやりくっついてきてしまった。地球に来てからチボデーに拾われた身として、コロニーに上がったことのないは、途中でだめになったとはいえ宇宙船に乗り込んだことのあるバニー達の話が好きだ。
 ジュースをちびりと舐めて、が溜息交じりに言う。

「私も、チボデーの役に立ちたい……」
「うんうん」
「大人になれば立てるかな? 技術? ねえバニー」
「あたしは、はそのまんまがいいと思うけどなぁ」
「このままじゃ、いつまでも子ども扱いだから」
「んー……」

 かろん、と、汗をかいたコップの中で氷が身じろいだ。テーブルに前身をくっつけるように潰れかけているバニーが、頬を赤くして眼鏡の奥の目を細めている。

「つまり、子ども扱いがいやだから、役に立ちたいの?」
 右ストレートだった。
「うん」
 間髪入れず、カウンターを打ち込む。

「……チボデーのこと、好きなのねえ」
「だいすき」
「あなたってば、ほんっと……」

 ピンク色のスーツが、のそりと体を起こした。そしてテーブルを乗り越えると、の頭を抱きかかえる。急なこととアルコールのにおいとに驚いただが、あたたかさと柔らかさに、振り払う気など到底起きない。おとなしく抱きしめられていると、バニーのきれいな手が頭を撫でてくれた。

「あたし達は、チボデーが大好き。でも、のことも大好きよ」
「子ども、だから?」
だからよ」

 ぎゅうっと抱き寄せられ、お酒のにおいもきつくなる。だけれど、耳元でだらしなく、でも嬉しそうに笑うバニーの声を聞いていたら、何も言えなくなってしまう。

「私も、みんながだいすきだよ」
 だからこそ、自分の呼気からこぼれる甘いだけの匂いが、鬱陶しく感じた。



* * *



「どうして怒ってるの、チボデー」

 本気でわからないと言わんばかりに、小さい体を竦めて、が窓枠に腰掛けていた。まだ大人の女には足りない貧相な体を、窓の向こうの月が照らして、影を落とす。頬に張り付けられたガーゼの下に、さきほど彼が目撃してしまった火傷や切り傷があるのだと思うと、歯噛みしてしまう。それでもチボデーは黙ってそれを見て、部屋の入口でじっと立っていた。ボクシングで鍛えられたしなやかな筋肉が、星柄のシャツの下で、静かに息づいている。肩に引っ掛けられただけのジャケットが、開かれた窓から入り込んだ風に揺れた。

 彼女は瞬いて、ぐっと背中を反らした。重心が後ろに流れ、の体が窓の外へと傾ぐ。反射的に焦って、チボデーは目を剥いて駆け出そうとする。「おい!」叫んだ声には焦燥が色濃い。
 だが。
「っと」
 の体が、反らした背中を反動にして、窓枠から床へと飛び降りた。なんだ、と息をついて、ふと、先ほどまで怒っていたはずなのにと思い出す。ふつふつと沸騰しかけていたものにひやっとする氷を一気に投入されたようで、一瞬だったが確かに冷めた。チボデーは唸りながらぐしゃりとホットピンクの前髪を掴み、大げさに呟いた。

「……マイガッ! ほんとにお転婆は困るぜ」
「ごめんなさい」
「謝るってことは、悪いことしたっていう自覚があんだよな?」
「……」

 沈黙。はよたよたとチボデーに近寄ると、ジャケットを掴み、顎を引いて指折り数え始めた。

「キャスとの新しい実験に失敗したこと?」
「それもある」
「あ、そういえばジャネットとシャリーの整備の手伝いを始めたんだよ」
「あー、聞いてるぜ」
「……もしかしてバニーと夜中こっそり出かけたのバレたの」
「おいコラそれは知らねえぞ」

 しまった、と、三つ折り曲げた手でが口を押さえた。視線が泳ぎ、うつむき、そしてまた沈黙。ヤブヘビ、と、覚えたての日本語を思い浮かべながら、チボデーはジャケットを掴む手を握った。鍛えられて硬くなった掌の中で、びくりと怯える手が、反射的に逃げようと引かれるのを阻止する。まだ幼い少女が、大柄なチボデーに腕を掴まれ、怯えぬはずがなかった。
 ふっと息を抜いて、チボデーは膝をついた。かがみこんで、ようやくと視線がちょうどいい。

「おい、顔上げな」
「……」

 そろそろと、蛇行運転での視線が打ち上げ花火のようにのぼってくる。そしてばちりとぶつかったとき、ぐしゃぐしゃと彼女の髪をかき混ぜるように撫でまわしてやった。

「う、わ」
「俺ァな、お前にはまだ子どもで居てほしいのよ」

 服を掴んでいた手をいつの間にか外したチボデーは、ばさりとジャケットを彼女の肩にかけた。細身の彼女の肩には大きすぎる肩幅のせいでずるりと落ちかけるのを、チボデーの手が襟元を掻き合わせるようにしてやって防ぐ。

「危ないことはするな。あいつらと、俺と笑ってればいいんだよ」
「……でも。でも、私だって、チボデーの役に……」
「十分立ってるだろ?」

 情けない顔をして、が眉を下げた。そんな表情を見て、チボデーがにかりと笑う。

「きれいなもん見せてーんだよ、お前にはな」
「子どもだから?」
「お前が大人になる途中だからだ」

 それって子どもってことじゃない、と食い下がろうとして、分が悪いと黙る。その心境を知らずに、チボデーはまた手荒に頭を撫でて、立ち上がった。

「よし、じゃあ久々に全員で街に繰り出すぞォ! 、何が食いたい?」
「……お酒」
「こンのマセガキぃ」

 機嫌よさそうに扉へ向かうチボデーの背中を眺めながら、の手は自分にかけられたままのジャケットを握りしめる。整髪剤とお酒と香水と汗と、全部が混ざり合ったチボデーの匂いのするジャケット。彼を追いかける寸前に足を止める。は目を閉じて、まだ言えない気持ちをその大きなジャケットに染み込ませるように、そっと袖口にキスをした。