JOJOと酒瓶を気の向くまま好き放題に空けたせいでいつの間にか手放していた意識が浮上したのは、冷たい指で眉間をつつかれたからだった。
「ノックしてもしもーし。なんちゃって」
聞き慣れた声。やわらかくて、優しい声。きっと俺のことを、しょうがない子どもを見るような目をしているんだろうなとたやすく想像させてくれる。くっつきあって離れないまぶたを無理やり開けると、思った通りの顔がそばにあった。「起きてるね」、とは笑って、俺の髪を梳いた。
「今日はJOJOがすっきり起きてくれたから楽かと思ったのに。どれだけ飲んだの? 気分わるい?」
気分はわるくない。だが、目の前にあるものがアルコールの見せたゆめまぼろしの類なんじゃないかと柄にもなく不安になり、気だるさを引きずりながら彼女の冷たい手を握った。華奢な手。俺の意図をどう取ったのか、が息だけで笑う。
「明日つらくないといいね。水たくさん飲んでゆっくり寝なよ」
「……ん」
「ほら、水持ってきてあげるからさ」
離して、と言われているのに気付いたが、わざと無視してやった。「もう」、諦めたような溜息と同時に、が俺の頬をぺちぺちと叩く。のろのろと目を瞬かせる俺と視線を合わせて、「とりあえず体起こして」と腕を引っ張られた。痛かったのでやっぱりのろのろ起き上がると、彼女はまるで自分の手柄のように満足げだ。
「ベッド行ける? 手伝うから」
「……」
「ソファよりずっとよく眠れるよ」
依然ソファに座ったままの俺の脇に手を突っ込んで立ち上がらせようとしてくれるの涙ぐましい努力は当然のごとく無駄になり、彼女は俺の前に膝をついた。ソファに座る俺の顔をわずかに見上げる彼女が首を傾げる。「気分悪い?」気分は、わるくない。
「ほら、ちゃんとシーツも綺麗にしといてあげたから」
「……」
「うんうん。大丈夫大丈夫」
何が、大丈夫だ。俺をベッドに放り込んだら、また自分の家に戻るくせに。こうして顔を合わせるのも久々なくせに。こうやって引きとめることが悪いわけがないだろう。
無性にキスがしたくて手を伸ばせば、勘違いしたに抱きしめられた。まるで子ども相手のように背中をさする華奢な手が、もう服越しでもわかるくらい暖かい。大丈夫大丈夫。呪文のようにそうやって繰り返しながら、は俺の耳に鼻を擦り付ける。
「」
「ん、気持ち悪い? 水飲む?」
「すき、好きだ。結婚してくれ」
「うん。水飲んどこ、ね。飲んだらベッドに」
「はなさない」
「わかった、うん、一緒に寝るから」
「ぜったい」
「わかったってば」
散々ごねた俺に根負けしたのか、は素直に水を飲んだ俺に素直についてきて、素直にベッドにもぐりこんだ。枕に頬をすりつける仕草を見たらどうにもたまらなくなって、彼女に覆いかぶさって首元にかじりついたが、横たわってしまえば昂りより眠気が勝った。彼女の柔らかさと甘い匂いに心底安心したから、やっぱり毎日ベッドは一緒がいい。
と、こんな醜態を晒したのを翌朝の俺はすっかり忘れていて、体重が三倍になったようなとてつもないだるさを抱え、そういえばどうやってベッドに入ったんだっけ、なんて阿呆らしいことを考えていた。そんな阿呆な俺がどうやって現実に戻ってきたかといえば、寝返りを打ったときに手になにかが引っ掛かったからだ。それを引っ張り出して、指先が冷えた。開け放たれたカーテンから燦々と入り込む朝日に煌めくイヤリングが、まちがいなくのお気に入りのそれだったものだから。
慌ててベッドから飛び出し、リビングへ駆けこむと、キッチンでカップを傾けていたが「あ、起きたの」なんて気の抜けるようなことを言うから、俺も「よく眠った」だとかそういうことを返してしまった。
「二日酔いとかない?」
なんともないのが唯一の救いだ。黙って頷く。
「そっか。それはよかった」
は昨日のことなんて何もなかったみたいにオーブンで何かを焼いていて、たぶんカンノーリだと思う。彼女の作ってくれるカンノーリはエスプレッソとよく合うから俺はよく彼女にねだるのだが、すこし面倒くさがりなところがある彼女が自発的に作るのはめずらしいな、と少しよそごとに思考を投げる。そんなことをしてる場合ではないのに。
「」
「んー?」
振り向いた彼女の頬を包み込むと、がくすぐったそうに目を細めた。髪をかき分けると、ぽっかりとさみしい左耳へ、先ほど拾い上げたイヤリングをつけてやる。「あ、どこにあった?」「ベッド」「やっぱり。ないと思ってた」耳の後ろを指先でなでると、やめてってば、と俺の手をすこし鬱陶しそうに払った。その華奢な手を引っ掴んで、俺は彼女を腕の中に抱え込んだ。
「え、ちょっと。なに、どうしたの?」
「昨日のやり直しをさせてほしい」
それだけで俺が何をしようとしているのか悟ったのか、は少し身を硬くして、「……どうぞ」なんて返すと、それきり黙って大人しくなった。腕の中のやわらかく呼吸する体温が愛おしくてたまらなくなって抱く力を強めたけど、この速い鼓動まで伝わってると思うと情けなかった。
「、どうか俺と結婚してほしい。君を幸せにするのは俺だ」
「……ふふ、シーザーにしてはすっきりした言葉だ」
「まどろっこしいのは嫌だと言ったのは君だろう」
あんな、暗くて散らかった部屋で放ってしまったアルコールに浸った言葉でも、年単位で温めていたものだ。必要な言葉をもそぎ落として本音しか残らなかったような、口に出してしまえば一呼吸で済む言葉も、ずっとずっと、彼女とならと。
「うん、私も」
そこで一瞬間を開けたが俺の胸を叩くから、少し腕をゆるめると、上向いた視線とぶつかり、絡む。彼女が少しばかりうるんだ瞳を細め、「私も」、と繰り返したところで、俺は耐え切れずに唇をぶつけた。二度、三度、拒まれないからと何度も重ねる。
「私もシーザーを幸せにする」
「そりゃあ、一生幸せに飢えることはなさそうだ」
「当たり前でしょう」
は得意げに笑って、「だってシーザーが選んでくれた私だから」、なんて言うから、もう俺は両手を上げて白旗を降るしかない。
これからの作ったカンノーリとエスプレッソを前にすると、きっと今日のことを思い出すだろう。一度目のプロポーズがどんなに情けなかったかも、二度目のプロポーズも寝癖がついたままだったということも。彼女に言わせればそこが愛しいというのだから、俺だってさっき彼女が作った新しいやけどまで愛そうと思った。