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「です、よろしく」 リトルの中でも、そいつは一際目立っていた。もちろん目鼻が整っていたのもあったし、他人に対する態度が妙に大人びていた。どことなく、子どもらしい子どもだった俺はそいつが気に食わないと、思っていた。なんでそんなに笑って対応するんだろうかと、なんでそんなに他人を気にするんだろうかと、ずっと幼心に思っていた。だから俺はと話すことを極端に避けていたし、アップも組もうとしなかった。 監督に一度、なぜそんなにを避けるのかと聞かれたことがある。その時も意地を張って素直に答えようとしなかった俺は、監督の隣で居心地悪そうに身を縮めているがせわしなく視線を彷徨わせているのすらいらいらしたことしか覚えてない。 「…、?」 そんなと俺が、ショートとセカンドを組むようになったのは、ある暑い日のことがきっかけになる。 「今日の練習終わり! ダウンして解散!」 「ありがとーございました!」 いつもより夏らしい夏の日で、前の日が雨だったこともあって湿気がものすごく気持ち悪かった。数人が練習の途中で気分が悪くなるくらいで、監督も少し早めに切り上げてくれるくらいだった。もちろん俺もちょっと気持ち悪くなるくらい酷く焼けた。さっさと帰ってクーラーが冷やしてくれた空間に行きたいと思っていて、ふと、日焼けして真っ赤な顔の中に、酷い顔色を見つけた。顔は赤いのに、他のやつらと違う。 そのちょっと青くて赤い、気持ちの悪い顔色をしたやつは、ふらりと着替えるでもなくユニホームの群から抜け出す。 単なる気まぐれだった。嫌いなやつなら放っておけばいいと今の俺なら思うのだが、たぶん異色の存在だったが何をするのか興味があったのだろう。色んな意味でその頃の俺はが気になっていたのだ。その感情が好意にせよ嫌悪にせよ。 「…うえ、えっ」 「…、?」 手を貸したくなるほどの足取りで、が向かったのはトイレだった。すぐに足を止めると、手洗い場で崩れ落ちるように吐き始めた。俺は慌てた、周りを見渡しても誰も居なかった。その時の俺は自分以外のやつが嘔吐している場面に遭遇したことがなかった。その時の俺に出来たことと言えば、なけなしの正義感を振りかざすだけで、に駆け寄る。 「だ、…大丈夫?」 「うえ、……え、うあ」 泣いていた。 それはいつものから想像もつかないほど子どもらしく、両目から涙をぼろぼろと零しながら俺を見る。俺は心底驚いていた。 「ちば、ぁ」 多分、暑さにやられたんだと思う。そいつは目も頬も真っ赤にして、乾燥してかさかさの唇を震わせながら、声を上げ、肩を激しく揺らしながら泣いた。俺はぐちゃぐちゃになったの顔を見ながら、監督は何をしてやっていただろうかと必死に考えていた。その日のうちにこうやって気分を悪くしていたやつが数人居てくれたおかげで、俺は吐瀉物に対する耐性も、対応も、まだ覚えていた。たぶんその日じゃなかったら俺は何もできなかっただろう。 「と、とにかく口をすすげ!」 「うえ、あああ」 しゃくり上げながらも、は俺の言うことに何一つ逆らわなかった。口をすすげと言えば泣きながらも水道から水を掬ったし、吐瀉物を排水溝へと流した。ここで待ってろと言えば大人しくどこにも行かずに待っていた。 「ポカリと麦茶どっちが飲みたい!?」 「ど、っ、どっちでも、いい、ぃっ」 「決めろよもう! ポカリな!」 とにかくは、ものを決めるのがすごく苦手なやつだった。だから俺は放っておくこともできず、どことなく、幼い弟に頼られているような、幼いながらも保護欲を見出していたんだろう。の大人びたところではないところを初めて見た俺は動揺もしていたに違いない。 「…あ、りがと、千葉」 「別にいいよ、…気分悪かったなら言えばよかったのに」 「……監督、他のやつらも面倒見てたから、迷惑かと思って」 「途中で倒れられた方が迷惑じゃないの」 それもそっか、と笑ったを見て、俺も笑う。まだ小学生だった俺の嫌悪なんてそんなもので簡単に払拭されてしまう程度のもので、俺らはその日から一緒に笑い合い、白球を追い掛け回す仲になった。周りの大人は俺らが急に接近したことに首を傾げていたけれど、子どもの世界の出来事をかき回すほど無粋じゃなかったらしい。監督は嬉しそうに目元を緩めて、口元の皺を目立たせるように豪快に笑った。 「あんたは最低だ! あんたを指導者とは認めねえ!」 そのが、大声を上げながら"大人"に暴力を振るうなんて、考えもしなかった。 あんなに面倒事を嫌っていたのに、あんなに優等生だったのに、はあの日、何の遠慮も見せずに中学の監督の頬に拳を叩き込んだ。退学は免れたけど、ちょっとの間だけ停学になった。監督はを辞めさせたがってたけど、俺らがそれに反論して、どうにか監督の気が紛れたかと思えば、がキャプテンに、それを渡していた。 「…、なに、それ」 「退部届」 「なんで」 「シニア行く」 「…なんで!」 「ごめん」 初めて人を殴った。殴られた方だけじゃなく、殴った方も痛いのだと初めて知った。たぶん、の手も痛かったに違いない、真っ白の湿布が手に貼られていた。部室の床に転がったは俺の顔を見ずに、もう一度「ごめん」と、誰に言ったのかも分からない呟きを残して、ゆっくりと歩いて、野球部を出て行った。 「戻って来てよ、。シニアなんか辞めて、俺らともう一回野球しよう」 なんでシニアに行ったのか、全く分からなかった。一度も俺に逆らったことのなかったが、なんで俺から離れて行ってしまったのか、全く分からなかった。監督に言った反論が全て無駄になって、とても腹が立った。たぶん、寂しかった。 結論を出すことが下手なの手を引っ張ってやるのは俺だと、思っていたから。 どっちも主将のことが好きなのだ。 |