今日は朝からほんとにツイてなかった。

「うえ、あ!」

 駆け込もうとしたバスの扉が目の前で閉じる。運転手はそのまま気づかず出発進行。朝食は、朝に炊き上がるように仕掛けた炊飯器の操作ミスでまだ固かった米の代わりにコンビニで買った小さな菓子パンのみ。教科書忘れて隣の奴に見せてもらうも見返りで財布が軽くなる。寒いな、と思ったところで俺はふと廊下の窓から外を見る。今日は家には帰らずそのままシニアに向かおうと思ってたからエナメルが俺の肩には掛かっている。

「…」

 そこには野球部の姿が見えた。少しの間、俺が居たところ。懐かしいとか帰りたいとか、そういうんじゃなくて、ただ存在を見とめているだけだ。そこにある、と、ただの確認作業。一瞬その中の一人と目が合う、がすぐに逸らされた。苦笑して前を向くと、そこには担任が居た。俺を見て、ただ笑っている。

「なんすか」
「いやー 、今日お前遅刻してきたろ? どした」

 薄ら笑いを浮かべた、八方美人の男性教諭。何を考えているのかいまいちよくわからないが、担任が話し掛けてくるときは大抵面倒事関連なのだ。俺は至極逃げたい。

「いや、バスが目の前で出ていきました」
「そりゃあ災難だったな!」

 ぶは、と笑いながら担任は俺の肩を叩く。利き腕じゃない方の肩なのは俺がエナメルを掛けているからだろうか。そんな本当に小さな気遣いはどうでもいい、と俺はちらりと時計を見やる。そろそろバスが来るしチャリ漕ぐのに、シニアまでチャリ漕ぐのに体力使うことになる。あの、と口を開きかけたとき、担任はにやりと口角を上げた。

「という訳で遅刻五回目だ、…頼むぞ」
「ぐえ!?」

 押し付けられたのは大量のプリントとホチキス。…は、は?

「ちょ、な!」
「遅刻は四回目までは許すが、五回目は駄目だって言っただろー」

 じゃあ終わったら職員室なーと後ろ手を振りながら担任は気分良さそうに職員室方面へと帰っていった。寒々しい廊下に残されたのは大量の書類と床に落ちたエナメルと、呆然としている俺だ。

「………、…はあ…」

 ここでサボってみろ、面倒なことになるぞ。頑張れ俺、耐えろ。とりあえず笑っとけ。他人相手はとりあえずそうしときゃ面倒事にはならない。俺はエナメルをどうにかして拾い上げて、さっき出てきたばかりの教室へと巻き戻されるのだった。





 折ってまとめて留めて、の単調すぎるその作業が終わったのは、外がもう暗くなってからだった。いまさらシニアには行ったってダウンくらいしかできないだろうが、一応次の試合のことやらなんやら監督と話す事があるので行かないわけにはいかない。少しくらいタカヤかモトキにキャッチボールでも付き合わせるかと俺は職員室のドアを開いた。…真っ暗である。

「センセー?」

 どうやら既に俺の担任は帰宅済みのようだ。人に物を頼んでおいてきっちりと時間には帰宅ってどういうことだオイ、と内心毒づきながら乱雑に色々と置いてある机の上に、更に乱雑にそれを置く。ばさっと意外に重たい音がして、早くグローブがしたいなと思った。





 それからものすごく急いで、どうにかまだ最後の練習をしている所に滑り込みセーフで見事生還した俺は監督に謝りとおして(事情を話せば分かってはくれたけどな)少しだけでも練習させてもらえることになった。急いで着替えてセカンドに入って、ゴロをキャッチしてショートに素早くパスする、その繰り返しを数回。あとはダウンだけ。正直に言うと物足りない。身体がようやく温まってきたところだっつーのに。今日は本当に苛々する、と俺は舌打ちをしたあと着替えようと扉を開いた、その時だ。

「オイ、!」
「………あ?」

 いつもより幾分低い声が出て、自分でも驚いた。だがしかし声を掛けてきたモトキは一瞬だけ目を丸くしただけで普通に話し掛けてきた。

「お前、なんで今日遅刻してきたわけ?」
「………うるせ」
「はあ?」
「色々あったんだよ、そんだけだっつの」

 苛々する。その苛々の原因も思い出したくなくなってきて頭が思考することを放棄し始めた。だからモトキへの口調も刺々しいものになったのを自覚したけれども抑えられない。こういうとこ、まだ子供だなと思うけどムカつくんだからしょうがないだろ。俺はまだ中学生だ。

「おま、その言い方はねえだろ!」
「………はあ…」

 面倒だ、苛々する、うるさい。溜息に込めたそれだけの気持ちを読み取れるだけ繊細じゃないモトキは尚も俺に突っ掛かってくる。後ろで比較的空気の読めるタカヤが察して小さくモトキに声を掛けているのが分かる。

 いらいらいらいら。

 全てが重なっただけだった。朝から炊飯器を開けたら中はまだ冷たい水と米のまま。朝食を食いっぱぐれる訳にはいかないと急いで行ったコンビニには既に小さな菓子パンしか無かった。コンビニに寄った所為でバスには乗り遅れていつもは止まってくれるバスの運転手さんも今日に限って気づいてくれない。結果、学校に遅刻して、朝はよほど慌ててたのか教科書が揃ってなかった上に教科書を見せた礼だと称して奢らされた。その遅刻が原因で面倒な用事を頼まれ苦労して終わらせてみれば頼んだ本人は悠々と帰宅後だった。どうにかシニアまで来てみれば当然時間が足りない訳で、不完全燃焼の身体を抑えてたとこに、それを思い出させるようなモトキの言動が来るわけだ。いらいらいらいらいらいらいらいら「はあ」、


「溜息吐くなっつってんだろ!」


 ぷつん。

「――あっそ」
「…は?」
「うぜ」
「はあ!?」
「うぜえよもう、とにかく色々あったんだよ。朝から今までずっと俺は苛々しっぱなしなんだよ、それをどうにか抑えてここまで来てみりゃこれか? これ以上俺を苛々させんなよもう、頼むから放っといてくれよ!」
「ちょっ、さん」

 タカヤの声を遮るようにがぁん、と大きな音を立てて俺の手はロッカーを殴りつけていた。凹んだだろう。それさえ気にせず、俺は危うく泣きそうになったのを抑えてエナメルを引っつかんだ。もういい、今日はだめだ。いつもの冷静な俺はどこに行ったんだか。こうやってまだ苛々に任せてこういうことができるところ、まだ俺はガキで、それに少し安心した。(本当は、いつもどこかであの八方美人の笑いが俺に被っていたのを自覚してたんだ)




主将は衝突した。