エリック=フォーゲルヴァイデ


「……、……」

 やっと先ほど始末書を提出し終わった。
 が眠い目を擦りつつ自販機の前に立つと、すぐそばのエレベーターが鈍く唸った。誰かが来る、と視線をやると、極東支部で一番鮮やかな赤色が目に飛び込んできて、は思わず目を瞬かせる。

「おや。おはよう、新型クン」
「おはよう、エリック」

 顔を合わせた時ににっこりと笑って挨拶するのを欠かさないのは、さすが育ちがいいというところだろうか。今日もいい天気だよ、と、エリック・デア=フォーゲルヴァイデは赤い髪を慣れた手つきでかきあげる。

「そうらしいねえ、今日は外に出る気はないけど」
「休暇かい?」
「久々のね」
「僕もだよ。お互い実力のある神機使い同士、苦労するね!」

 それに対しては笑うだけに留め、ふとエリックを見たまま黙りこくった。赤い腕輪の嵌った手を口元に添え、じっと見つめる。三秒間は黙って大人しくしていたエリックだったが、さすがに少し身じろいで、首を傾げた。

「華麗な僕に見とれているようだが、どうかしたのかい?」
「ちょっといいかな」

 彼の露出の多い服をちょいと引っ張って、は自室に彼を引きずり込んだ。いきなりのことにサングラス越しの目を丸くするエリックに構わず、そのままむりやり椅子に座らせる。何を、と首を捻る彼に、手鏡をひとつ手渡した。

「髪が」
「……ああ、僕としたことが。最近は任務に引っ張りだこだったからね」

 手鏡を覗き込んで、エリックが苦笑した。その目元は、サングラスのせいで見づらいが、確かに隈がある。「だよねえ」、独り言のように零して、も首を回した。目の奥に重りをつけられたような不快感のせいで、最近は質のいい睡眠を取ることもままならない。

 エリックの鮮やかな赤髪の根本は、輝くプラチナブロンドだった。父親やエリナを見れば分かることだが、東欧のフォーゲルヴァイデ家の中で赤い髪をしているのはエリックだけである。アラガミに対峙するには心もとない服装も相まって、彼は戦場で妙に目立った。

「仕方ない、また染髪しなくては」
「じゃあ座っててよ。俺がやってあげるから」
「え?」

 東欧人らしい白い肌には、黒い刺青がうねる。その胸元を反らしながら、エリックは背後に立つを見た。しかしすぐにサングラスをかすめ取られ、彼の視界はいきなり明るくなる。灰色がかっていた部屋が、急に色鮮やかに変貌した。

「い、いったい何をするつもりだい!」
「だから染めてあげるよって。大丈夫、道具ならあるから」

 思わず疑いの声がもれそうになったエリックだったが、ふわりと漂った嗅ぎなれた匂いに口を閉ざした。その独特の刺激臭に振り向くと、慣れた手つきで染髪剤を混ぜるが居た。目が合うと、彼は気の抜ける笑顔を見せる。そういえば彼はたびたび髪の色を変えていた、と、エリックは今とは別の髪だったを思い出した。戦場で見慣れない色が視界をちらつくたびに動揺して誤射しそうだったのも思い出してしまい、ぐっと唇を歪めた。

「心配?」
「……いや、じゃあお願いしようじゃないか」
「りょーかい」

 液を掻き混ぜる水音の他には、沈黙だった。人工の光を裸眼で眺めながら、ぼんやりとエリックは視線を揺らめかせる。

 ――なんて生活感のない部屋だろう。

 私物らしい私物の見当たらないシンプルを通り越して殺風景と言える空間だ。今すぐに出て行こうと思えば、三十分もせずに身支度を済ませてしまえそうに感じる。

「よし、行くぞー」
「来たまえ!」
「覚悟!」

 ぺたり、髪の根本に染髪剤が塗られる。頭皮に冷たい感触が伝わって、思わずエリックは肩を竦めた。

「そういえば、エリック」
「なんだい」
「頻繁に染めるの大変だろ? せっかく綺麗な色なのに」

 とぷん、波打つ音がして、また染料が伸びていく。

「エリナがね」

 ぽつり、呟いた声は小さかったが、静かな部屋には十分だった。

「赤色が好きなんだ、タイツの色やリボンの色がそうだよ」
「そうだね」
「だったら、彼女を勇気づけるヒーローも赤がいいに決まってるだろう?」

 東欧支部のフォーゲルヴァイデ財閥の御曹司がわざわざ僻地の極東支部に来た理由も、面倒くさい染髪を欠かさない理由も、全てがそれだった。一抹の照れも見せずに、エリックはそう言い切ったのだ。

「まったく、エリナちゃんにはとんだヒーローがついてるもんだ」
「当り前さ、僕の妹なんだからね」
「はい、おしまい」

 いつの間にか染髪剤を塗り終えたらしいは、赤い液で汚れた手袋を外しながら、いつも通りの笑顔をしていた。エリックもつられて笑う。ワックスで固めたような頭は完全にオールバックにしているため、いつもより視界が広かった。

「さて、コーヒーと紅茶はどっちが好きだっけ」
「じゃあ、紅茶をお願いするよ」

 だからか、湯を沸かす彼の背中も、少し大きく見えた。

 手鏡を見ながら、エリックは満足そうに笑った。プラチナブロンドは完璧に赤く染まっていて、色も馴染んでいる。自分でやるより上出来で、誰か人を呼ぶより簡単だ。

「しかし、随分手慣れていて驚いたよ」
「まあね。なんてったってゴッドイーターの前は無職だったし」
「……?」

 ふしぎそうな顔をしながら、赤い髪の御曹司の視線がへ向いた。それにもへらへら笑顔を返して、は手を振った。細かい傷の増えた、ゴッドイーターの手だった。

「いろいろやったけど、これが天職だなってこと」